できるならもう一度、
あの頃に戻りたい。

3:私の決意

ソフィーは城に帰ると、ずっと自分の事を心配してくれていた2人に事情を説明した。
2人とも驚いて、喜んでくれたけど、やっぱりどこか心配そうな面持ちだった。
ハウルはどうするのか。っていう顔だったと思う。
でも、絶対に口には出さなかった。

※※※※

その夜、ソフィーはいつものようにリビングで縫い物でもしながらハウルの帰りを待った。
いつもの如く用意してある食事はすっかり冷めてしまっている。
ハウルは自分の作った夕食を食べたのは、もういつのことだったか思い出せもしない。

そのとき、じっとソフィーを見ていたカルシファーが口を開いた。
「ソフィー。どうするんだい?」
主語も何もありはしない、そんな唐突な質問をカルシファーは投げかけた。
しかし、ソフィーにはそれが何を指しているのかが明確にわかっていた。
「どうするって何を?」
質問の意味をわかっていながらも、わざととぼけるようにして質問を返した。
ソフィーは縫い物をしている手を止めることなく話している。
「ハウルに言うのかどうかってことさ」
ピタッ
縫い物をしている手が、一瞬止まった。
そして、再び手を動かし始めると、吐き出すようにして言った。
「言わないわ」
言ったら彼が困るから。
言ったら、何かが終わってしまうような気がするから。

不思議なことに、ソフィーはハウルにこのことを伝えるという選択肢はまるでなかった。
それよりもこの子をどうやって産もうか、育てようか。ということが ソフィーの頭の中にはあった。
それから、これからどうしようか・・・。とも。

結局それからカルシファーは何も言わず、その話は終わった。
そして、その日ハウルはとうとう帰ってこなかった。


※※※※


もしかしたら、私は命を産む。という行為を甘く見ていたのかもしれない。

「ゲホッ、ゲホゲホ!!」
ソフィーのつわりは人の倍ひどかった。
医者が言うには、何かのストレスも伴っているせいでひどくなっているのだという。
そのストレスの原因が簡単に思いつくことにソフィーは笑いを漏らした。
とても苦しい。とても痛い。
けれども、ソフィーはカルシファーにもマイケルにも弱音一つ吐かずにいた。
自分の中にある命。自分は1人じゃない。
そう思うとソフィーにはとても勇気がわいた。
ソフィーは花屋はさすがに休みにしているものの、そのほかの仕事は全てこなした。
見ていられなくなったマイケルが手伝ってくれている。
自分が仕事を怠ったらハウルが気付くかもしれない。
そんな思いがあり、素直に休むという行為をすることができなかった。


しかし、ソフィーの容態はますますひどくなるばかり。
これはもうつわりがひどい、というレベルではなくなってきた。
このままじゃお腹の赤ちゃんどころかソフィーまでが危ないかもしれない。
そう思ったマイケルは誰かに助けを求めずにはいられなかった。
自分ではソフィーを止められない。
誰でもいい。誰でもいいからどうかソフィーさんを。
そんなおもいで城を飛び出し、さまよった。

「マイケル?」

この人ならば止められる。
おねがいです、ソフィーさんを助けてください。


※※※※


ソフィーはいつもながらしにして家事を完璧にこなし、 食事を作り、そしてまた働いて。
そんないつもの1日が終わろうとしていたときだった。
ソフィーはリビングのソファーに座りながらハウルの帰りを待っていた。
最近はずっと帰ってきていない。
カルシファーの話によると、ソフィーが眠ってしまった後に帰ってきて ソフィーが起きる前に出て行ってしまった時もあったらしい。
それでもソフィーは待ち続けた。
ハウルにとってソフィーがここで待っているということはとても嫌なことなのかもしれない。
けれども、これはソフィーの最後のわがまま。
これだけは貫き通させてほしい。そう思っていた。

「カルシファー」
静かなこの時間。いつも話しかけるのはカルシファーだったのだが、今日は めずらしくソフィーのほうから話しかけた。
カルシファーは返事をすることなく、視線だけをソフィーにやった。
「私、決めたわ」
自分がどうあるべきか、どうるすべきか。
「この子を産んだら、ここを出て行く」
あぁ、やっぱり。
カルシファーはそんな顔でソフィーを見ていた。
ソフィーがここにいるのは自分がこの場所に必要か必要じゃないか。それだけ。
いくらオイラとマイケルがここに居て欲しいといっても、
自分はここに必要じゃないから。
そういってきっと出て行ってしまうだろう。
なんてやっかいな奴だろう。
カルシファーは何も言わずに、ぱちぱちと燃えるばかりだった。
「でも、この子を産むまでは、どうかこの場所にいさせてね」
それまでに彼を忘れられるように努力するから。

そんな寂しそうな顔をするくらいなら、出て行く必要なんてないのに。
口には出さなかったが、カルシファーは強くそう思った。


※※


その話をした後、もう2人はお互い何も話そうとはしなかった。
カルシファーが気付いたときには、ソフィーはソファに寄りかかり静かな寝息をたてていた。

そのとき、城の扉が静かな音を立ててゆっくりと開いた。
もちろん入ってきたのはこの城の主人。
ハウルは城に入り、カルシファーをちらっと見たあと、ソファで眠っているソフィーを見た。
「お前を待ってたんだぜ」
ハウルは何も言わずにソフィーを見ているだけだった。
「オイラ、自分に手があったならお前を殴ってたぜ」
それでもハウルは何も言わなかった。
「部屋に連れて行ってやれよ」
「わかってるよ」
ハウルは初めて口を開き、ゆっくりとソフィーに近づいた。
そして、ソフィーの首と足のところに手をやると、ひょいっとソフィーを抱き上げた。
ソフィーをこの腕に抱いたのはとても久し振りだった。
前はこの腕に抱いていないと不安だったのに。
ハウルはソフィーを抱き上げると、不思議そうにカルシファーにたずねた。
「何だかソフィー、重くなったんじゃない?」
前に抱いたのはいつのことだったか覚えてはいないので、正確にはわからないが、 こんなにも腕に重みを感じなかったはずだ。
「そりゃそうだろう」
カルシファーはそれだけ言うと、ぷいっと横を向いてしまった。
ハウルがこの言葉をどうとるのかはわからなかったが、 ソフィーがハウルに言うつもりはない。そういったのだから自分も言う必要はない。
そう思ったカルシファーだった。


ハウルはゆっくりと階段を上り、自分たちの眠っている部屋に入ると、ソフィーをゆっくりと ベッドへと寝かせた。
まじまじとソフィーを見るのは本当に久し振りで。
ハウルはそっとソフィーの紅い髪の毛に触れてみた。

そのとき、ソフィーが少し動いた。
ハウルは驚いて思わず手をひいてしまった。
ソフィーは、本当にうっすらと開けているのかあけていないのかわからないくらい目を開いた。
ハウルはドキッとしてその場を逃げ出そうと思った。
けれども、ソフィーの顔を見ていると逃げ出そうとしている足が、上手く動かすことができず 結局その場でソフィーを見つめていた。
ソフィーはうっすらとあけていた目を再び閉じると、小さな声で言った。
「・・・・・・・・・ハウル・・・・・」
そして、ソフィーは一筋の涙を流した。
その涙はソフィーの頬を伝ってゆっくりと流れると、枕に小さなしみを作った。
次の瞬間にはソフィーは小さな寝息をたてていた。

ハウルはソフィーの涙を見たあと、ずるずるとその場に座り込んだ。
そして俯いたまま拳をぐっと握り締めた。
彼女の顔を見た瞬間、罪悪感というものが自分の身体を締め付けた。
久し振りに見た彼女の顔は何だかとてもやつれている感じがして、胸がしめつけられた。
彼女の顔をずっと見なかったのは、このせいかもしれない。
もっと早くに彼女の顔を見ていれば、こんな愚かな行為をしなくてすんだかもしれない。
僕は逃げた。
知らない女の所に。
もう後には引けないんだ。
君を愛していないわけじゃないけど、わからなくなった。




    もう、戻れない。