「ちょっと!邪魔だって言ってるじゃない!」
穏やかな朝の日差しが室内に入り込んでいる中、ジェンキンス家には穏やかでは 無いソフィーの癇癪じみた声が響き渡っていた。ソフィーはいつもの掃除をする スタイルで腰からエプロンをかけて手には箒と足元にはバケツをおいて行く手を 阻もうとしているハウルに向かって怒り心頭の視線を投げかけていた。
「いやだね。さっきから掃除掃除ってつまらないじゃないか」
一方のハウルは扉を通ろうとしているソフィーの行く手を阻むため、胸の辺りで 手を組み、その長い足を見せ付けるかのようにドアに足をかけてソフィーをとう せんぼしている。面白くないことがあると、ハウルはいつもこうして眉間に皺を 寄せて子供みたいにすねた顔をするのだ。
もしこれがハウルの最初の妨害行為だったのならば、ソフィーだって子供ではな いのだからもう少し柔らかく言葉を発するところなのだが、ここまで頑なに邪魔 をされれば声も荒くなるというものだ。いっそ目の前にいる男のご自慢の金髪を すべてむしりとってしまってでも通って部屋の隅から隅まで掃除し倒したいとこ ろなのだが、それが現実になればもっとやっかいな事が待ち受けているという事 をちゃんと学習しているソフィーはそこは何とか脳内で済ませて、それでもまだ 発散されていない怒りをハウルを睨みつけることで何とか緩和させてきていた。
「せっかくの休みだって言うのに、何でよりによって掃除をしようとするわけ?」
「だってハウルどこにも出かけたくないって言ったじゃない!せっかく誘った のに!」
「出かけたくないって言うのは、ソフィーと家で二人でいたいって意味だよ!何 も掃除しろなんていってないだろ」
ああ、このまままた喧嘩が発展していってせっかくの長期出張の後の休みを喧嘩 だけで終わっていくのだろうかと思うとソフィーはため息がでる思いがした。ハ ウルもだんだんと苛立ちが募ってきたのか少しだけ声が荒げてきたようなきがす る。両者一歩も譲らずといった不穏な空気の中で、ソフィーは自分が掃除をやめ れば済む話なのかもしれないと普段ならば絶対に思わないような無謀な考えが頭 の隅をかすめたのだが、ハウルの体越しに見える部屋の隅という隅にはしっかり と埃がたまってしまっていて、それを見たとたんソフィーの中にあった珍しい思 いつきはあっという間に灰となってしまった。そう思った時点で、今回も大喧嘩 は免れない・・・・そう思ったときだった。
「・・・・いいよ。もう」
ふと体の前に立ちふさがっていたハウルの足が投げやりに落とされて、同時にハ ウルの盛大なため息が不穏な空気の中を漂った。あまりのハウルの潔さにソフィ ーは目を丸くして、まぬけにも「え?」などと半音あがった疑問の言葉が無意識 口から零れ落ちて、怒り心頭になりながらももう何もかもをあきらめてしまって いるかのようなハウルの顔を見上げた。ハウルはソフィーの顔を見ようともせず に拗ねた表情を浮かべたままサッと踵を返して「勝手にすれば」という捨て台詞 をその場に残すとリビングのハウルお気に入りのソファにドサッとその身を沈め た。いつものねちねちとしつこさに満ち溢れたハウルとは一変した今の態度にソ フィーは呆然としたままかける言葉も見つからずに箒を片手にその場に立ち尽く した。背中を向けてしまっているハウルの今の表情は上手く読み取ることが出来 けれども穏やかな気分ではないことだけははっきりと理解することが出来る。
そしてソフィーがしばらくその場に立ち尽くしていると、ソファに座っているハ ウルがソフィーに背を向けたまま小さく言葉を漏らし始めた。
「せっかくの休みなのに喧嘩して終わりたくない。・・・でもさ、ソフィーは昨 日僕が長期の出張から戻ったばっかりだっていうのに態度は相変わらずでさ。昨 日だって抱きついてくれる事だってなかったしちゃんと話をする時間もなかった し、ソフィーなんか僕を待たずにちゃっかりと寝ちゃってたし。なのに今日はい きなり掃除って。」
僕は寂しかったのに。ソフィーに会えなくてすごくすごく寂しかったのに。
そういったハウルの背中にはもはや怒りなんて感情は存在しておらず、ただただ “寂しい”というオーラだけがソフィーに向かって投げ出されているだけだった。
確かに昨日は疲れていてハウルを待つ事無く眠ってしまったのだけれども、それ はもう今日になれば会えるという安心感からで、それに寂しくなかったわけでも ない。今日はハウルも疲れていると思ったから、家にいたいって言ったときに休 みたいのかと思ったから。同じ屋根の下で一緒にいられるだけで、嬉しいと思っ ていたのに。
ソフィーは、ハウルの寂しそうな背中と寂しそうな後頭部をじぃっと見つめて唇 をかみ締めると手には箒を握り締めたまま染色された布のようにだんだんと頬を 赤らめていき、自分の表情を隠すかのように俯いてしまった。
「あのね、ハウル・・」
小さく呟かれたソフィーの言葉を、ハウルはちゃんと聞いてはいたけれども決し して自分に利益のある言葉ではないという妙な確信を自分の中で持っていたので あえて返事はする事無かった。それでもソフィーは言葉を紡ぎ続ける。
「・・・今日の掃除は掃き掃除だけにしようと思っていたの。それなら午前中だ けで終わると思うから。そしたら・・・お昼から暇になっちゃうんだけど、お茶 でもしない?」
ソフィーのいっぱいいっぱいな言葉たちはところどころ躓きを見せながらもしっ かりとハウルの耳へと届いたようだ。一瞬ハウルは体をぴくっと反応させて、そ の言葉の真意を確かめるためか横目でソフィーの顔をちらりとのぞき見ると真っ 赤な顔をして俯いてしまっているソフィーを見ると納得したのかすぐに顔を元に 戻した。
「・・・・キスもしていい?」
一瞬ソフィーは何かを講義するように大きく口を開いたのだが、言葉が喉元まで きたところでハウルの長期出張での活躍と寂しかったというハウルの言葉を思い 出してでかかっていた言葉たちをゴクンと呑み込んだ。後姿しか見せないハウル が自分が出す答えに耳をしっかりと向けていて、しかもそれがたった一つの言葉 しか受け入れないような体勢になっていることが非常に腹立たしくも感じられた のだが、ソフィーは今はそれら全てを見ていないふりをした。
「・・・・・・・・ウン・・・」
するとハウルは灰色だった空気からあっという間にピンク色の空気に変換させて 機嫌が直った花が咲き乱れそうなあどけない笑顔をソフィーに向けると、 「じゃあおとなしく待ってる」といって小さく鼻歌まで歌い始めた。
何だかハウルに上手く丸め込まれたような気がしてならないソフィーだったのだ が、今日は早めに掃除を終わらそうと珍しくそう心で決めていた。