泣いて泣いて泣いて、
そしたら私はすっきりするの?
哀しみも苦しみも全部なくなって 楽になるのかしら?
でも、泣けない場合はどうしたらいいのかしら?

2.嬉しくて悲しい知らせ

気持ち悪い。
ソフィーは最近ずっとこんな調子だった。
食べては吐いて、飲んでは吐いて。
まさに調子は最悪だった。
それもこれもあの日から始まったこと。
楽しげに歩いている2人を見てからというもの気持ちが悪くて仕方ない。

それでもソフィーは、気分が悪くても胃がねじ切れそうでも 必ず夜遅くまで起きていて、日にちが変わってから帰ってくるハウルを迎えた。
そして、いつもの会話を交わし、いつもの手紙をみつけ、 いつもの香水を嗅ぐことになる。
ソフィーは相変わらずハウルに何も言うことはなかった。
ハウルもソフィーの体調の変化に気付くことはなかった。


そんな体調の中でもソフィーは必ず決まった時間に起きて、 花を摘み、食事を作り、掃除・洗濯、そして花屋。
全てを完璧にこなし続けた。
ソフィーは気分が悪くなると、マイケルやカルシファーが見ていないところで、 思い切り吐いた。
自分の中にたまっているもやもやした感情も一緒に出しているかのように。

花屋に出て、お客さんと話していると「今日は元気がないね」や「顔色が悪いよ」 などと言われてしまう。
そうなると、ソフィーはますます空元気を使って笑顔を振りまいた。
誰にも心配なんて掛けたくない。かわいそうだなんて思われたくない。
ハウルも言っていた。ソフィーは強いねって。
私は強い。強くなくちゃいけないんだ。
苦しいけど、苦しいなんて思っちゃいけない。



しばらくすると、ソフィーは夜さえ眠れなくなってきた。
ハウルがあんなことをしていても、2人の部屋は相変わらず一緒だった。
けれども、以前とは確実に変わってしまっていた。
ずっとソフィーを抱きしめて、朝起きるときに腕をどける事がとても困難に思っていた
暖かい彼の腕はソフィーの側にはもうなかった。
ハウルは最近ずっとソフィーに背を向けて眠っている。
ソフィーはハウルの背中を見つめて、そっと手を伸ばしてみる。
あと少しで彼の背中に触れられる。というところでハウルは決まって逃げてしまう。
起きているんじゃないかと思ってそっと顔を見てみるが、ハウルは規則的な寝息をたてている。
こんなに近くにいるのに触れることもできない。
それが今の2人の距離なんだ。
そう思わずにはいられない。ソフィーの胸はちくちくと痛んだ。
ソフィーはそっとベッドから抜け出し、窓際においてある椅子に座ると両足を椅子に乗せるような格好に なると、窓の外をじっと見つめた。

長い長い夜はソフィーに多くのことを考えさえさせた。
もし、ハウルがこの城を出て行けって言ったら?
もし、ハウルが彼女をこの城に連れてきて紹介されたら?
もし、こんな関係が一生続いたら?
もし、もし、もし・・・・・
そんな起こるか起こらないかとても曖昧な未来にさえ考えさせられた。
しかし、ソフィーは涙を決して流さなかった。
というよりも、涙が出ようとしなかった。
何だか出るのはため息と自嘲気味な笑いだけで。
もしかしたら、人は悲しすぎることがあると逆に笑いが出るのかもしれない。とソフィーは思った。
大丈夫。私はまだやれるわ。
眠れない夜は必ずこうやって窓から空を見上げて、おまじないのようにこの言葉を心の中で 唱え続けた。
だが、ソフィーの体力は限界に近かった。


※※※※


ソフィーはいつもどおりの時間になると、自然と目がさめた。
今日は1時間ぐらい眠ることができた。
ハウルは隣でまだ静かな寝息をたてている。
ソフィーはハウルを起こさないようにそっとベッドから抜け出すとゆっくりと服を着替えた。
あぁ。何だか今日はいつもに増して気分が悪いわ・・・。
起きるのも億劫なくらい。

ソフィーはのろのろと階段を下りていった。
そして、起きているカルシファーに挨拶をして花を摘む、しばらくするとマイケルが起きてきて 一緒に花を摘んだ後、食事の準備をする。ソフィーはいつもどおりの動作を一通りこなした。
食事の準備をしていると、ハウルが2階から降りてきた。
ソフィーたちの横をとまりもせずに通り過ぎ、城の扉へと一直線に歩いていった。
「もう行かなくちゃ行けないから行くね」
それだけ。
またソフィーの方を見ずにそれだけいうと、さっさと出て行ってしまった。
パタンと扉がしまる音がすると、ソフィーはまたため息をついた。
ちらっと横目でマイケルを見てみると、すごく悲しい顔をしている。
あぁ、やっぱり。マイケルは知ってるんだ。ハウルの事を。
そして、カルシファーもまたわかっているんだろう。
ソフィーはマイケルと目があうと、しょうがないわねという風に笑うと再び食事の準備を始めた。
顔は笑っていても心はズタズタ。
全身が切り刻まれてるみたいにとても痛い。

とても気分が悪い。


※※※※


食事を作り、花屋を開くまではまだ大丈夫だった。
けれど、昼食の準備をしてそれを食べた後は何とも言えない不快感がソフィーを襲った。
ソフィーは急いでトイレへと駆け込むと先ほど食べたものをすべて吐き出した。
いつもは吐いたら少しは楽になるのに、今日は全然違う。
吐いても吐いても楽にならない。
苦しい。

その時は、マイケルとカルシファーのことに気を回していられなかったので、 とうとうソフィーの体調が優れていないことが2人にばれてしまった。
ソフィーは台所で口をゆすぐと、不安そうに自分を見ている2人の顔を交互にみた。
”私は平気よ。少し気分が悪かっただけ”
ソフィーはにっこりと微笑んで2人に言った。
すごいじゃない、ソフィー。こんな状態になってもちゃんと笑っていられる。
そんなことを考えながら。

しかし、もう2人に空元気なんてものは通用しなかった。
マイケルはソフィーの笑顔を見ても、決して安心した表情を見せなかったし、カルシファーも
悲しそうにソフィーを見つめた。
いやだ、その目は。可哀想だって顔してる。
やめてよ。私が不幸せみたいじゃない。そんなことないんだから、そんな顔しないで。

ソフィーはそんな2人の視線が嫌で嫌で。
だから、再び何もかもを忘れるために働こうと思った。
何か動いていれば、忙しくしていれば忘れられるから。
しかし、ソフィーが行動する前にマイケルに行動を止められてしまった。
とても心配そうにソフィーを見つめている。
「病院に行ってください」

行きたくないわ。花屋もあるし。じっとしていたくないのよ。
どんな言葉を言っても、マイケルには通用しない。どれも首を横に振るばかり。
「行って来いよ」
最後にはカルシファーの一言で仕方なくノックアウト。
ソフィーはいやいやながらも城を後にした。

※※※※※

でもね、病院って実はすごく怖いところなのよ?
だって、自分の事がすべてわかってしまうんだもの。
いいところも悪いところも。

ソフィーは待合室にじっと座り、窓から見える木々たちに目を向けた。
少し風をうけながら、木々たちはゆらゆらと揺れている。
何だかその景色を見ていると、とても心が安らいだ。

ソフィーは病院について、先生に会うと、先生は何も言わずに私に多くの検査を受けさせた。
これだけ多くの検査を受けさせられるんだったら、きっとすごく悪い病気に違いない。
そしたらハウルは哀しんでくれるかしら?
  ・・・・・・そんなことを思った。
以前のハウルならちょっとした風邪でも大いに嘆いた。
自分のふがいなさでソフィーに風邪をひかせてしまった!これはもう由々しき問題だ!なんて。
それにソフィーは呆れたようにため息をついていた。
大げさね。なんていいながら。
あれはいつのことだったかしら?もう思い出せないほど昔の話ね。

「ジェンキンスさん」
ソフィーがそんなことを考えていると、看護婦さんに名前を呼ばれた。
どうやら検査が終わったらしい。
ソフィーはゆっくりと立ち上がり、思い足どりで医者の元へと歩いていった。
あぁ、自分は一体どんな病気だと診断されるんだろう。
そんなことを思いながら、ゆっくりとドアを開けた。

「どうぞ、お座りください」
お座りください。とにこやかに言ったこの医者はやさしそうなおじいさん。
それにしても、とても嬉しそうに笑っている。
周りにたっている看護婦さんたちも心なしとても嬉しそうに見える。
これから病気を伝えようって人がこんなににこやかでいいのかしら。
それとも、患者に不安を与えないようにしているのかしら?だとしたら、そんな気遣いは無用だわ。

そんな考えはとんでもない間違いだった。

「おめでとうございます。3ヶ月ですよ」

おめでとうございます?3ヶ月?
ソフィーの思考回路は一瞬にして止まり、頭の中は真っ白になった。
何がおめでとうございますなの?
何が3ヶ月なの?
ソフィーは自分の中で自問自答を繰り返した。
もちろんそんなことを自分にきかなくても、それがどういうことを意味しているかなんてソフィーにはちゃんとわかっていた。
それは自分の中の新しい生命のお告げ。
おなかに宿る新しい命。
ソフィーの胸はドキドキと高鳴った。

それから医者は何かしら多くの事をソフィーに話していたけれど、ソフィーには全く聞こえていない。
また来てくださいね。っていうことだけ耳に残っている。
それだけ。
はっとして気がついたときにはいつの間にか自分はがやがや街の噴水広場に立っていた。
今までずっと停止していたソフィーの五感がいきなり戻ってきた。
何も考えられなかった脳が急激に働き出し、真っ白だった眼前は急に色をつけ始めた。
何も聞こえなかった耳はソフィーに周りのざわめきを運んだ。
それと同時に大きな感情をソフィーの中で目覚めさせた。

ソフィーは近くにある噴水に腰を掛けた。
この場所はよく待ち合わせの場所に使われるらしく、若い男女のカップルが何やら話しているのが 聞こえる。
ソフィーは上半身だけを噴水の方にやり、水面に写る自分を見た。
水面はとてもゆらゆら揺れていて自分の顔なんてほとんど見えなかった。
けれども何だか醜い顔をしている。・・・・気がした。
ソフィーは人差し指でピンッと水面を打った。
その動きと共に水面がゆらっと揺らめいた。
     ポタッ

先ほどのソフィーの指の動きとは別に水面に新たな波紋が生まれた。
   ポタポタ
水面には沢山の波紋が生まれた。
これは雨。悲しい悲しいソフィーの瞳から生まれた悲しい雨。

ソフィーは水面から目を離すと、そっと片手でお腹をさすった。
自分の中にある生命に語りかけるように何度も何度もさすった。
ソフィーはずっと涙を流し続けた。
それは本当に雨のように。

自分の中にハウルとの赤ちゃんが宿った。
それはとても嬉しいことで、世界中の人たちに知らせたいほど嬉しいことで。
愛しい人との間にできた子供を嬉しがらない人間がこの世にいるもんか。
けれども、それはソフィーに大きな悲しみを与えた。

今がこんな状態じゃなかったら今すぐにでもハウルに教えてたのに、知らせてたのに。
もし、このことを今のハウルに言ったら一体どんな反応が返ってくるだろうか。
 ”堕ろしてほしい”
きっとそんなことを言われるだろう。
喜んでくれるなんてことはきっとない。
ソフィーの涙は止まることを知らないかのように流れ続けた。
一度外れてしまった枷が元通りになるにはとても時間が掛かる。

ごめんね。ごめんね、私の赤ちゃん。
あなたを授かってとても嬉しいのに、泣きたいほど嬉しいことなのに 私は悲しい涙しか流せない。
ごめんね。

両親に望まれずに生まれてくる子供はどんな気持ちになるのだろう。
父親がいない子供はどんな気持ちになるんだろう。
それはとても悲しくて、寂しくて。
決して自分の子供にはそんな思いはさせないって決めていたのに。






ねぇ、ハウル。
あなたは私のことを強い女だって言ってたわね。
とても強い女だって。
だけど、私は決して強くなんかない。
赤ちゃんができたら泣きたくなるし、あなたの事を考えたら涙だって出るわ。
つらいときがあったら誰かに抱きしめて欲しいし、慰めて欲しい。
私も女なのよ。ちっぽけなただの女なの。
私が普段泣かなかったのだって我慢していただけなのよ。
それは我慢強いだけであって、強いわけではないの。

私は幸せだって思い続けてきたわ。
あなたも幸せだって。
だけどね、もう限界みたい。
もう、我慢できない。悲しみを抑えられないの。

ソフィーは噴水の広場で静かに泣き続けました。
今までの我慢していた悲しみを全部吐き出してしまうぐらいに。

ソフィーは、初めて涙を流しました。