夢の国の御伽話というものは大抵美しいお姫様と思いやりのある美形な王子様とが、 出会うシーンから始まってそこから何かと問題がおきつつも二人が絆を深め合いなが ら問題を解決していって最終的には二人は結婚して幸せになるというケースがほとん どだ。そういった話は小さい頃から耳に穴が開くほど聞かされてきたけれども、幼い ながらにいつも疑問に思っていることが一つだけあった。それはどうしてお姫様は王 子様としか結婚しないんだろうかということだ。どの本を読んでも、どんな物語に目 を通してみても、話の内容は違っていても結局はお姫様と王子様が結婚して幸せにな るという締めくくりで終わらされていた。どうでもいいことなのだが、気になる。
「まただわ」
数日前からずっと読み続けていた分厚い本をようやく読み終えて小さな風が生じるほ どにバタンと勢いよく本を閉じると、自分が座っていたソファに投げ捨てるようにし て置いた。随分と楽しみながら読み続けていた本なのにも関わらず読み終えた後のソ フィーの表情はあまりすっきりとはしておらずどこか腑に落ちないといった顔をして いて、ハウルは不思議そうな表情を見せながらソフィーに暖かい紅茶の入ったマグカ ップを渡した。
「どうかしたの?眉間にしわなんて寄せちゃって」
無言でマグカップを受け取り、まだまだ熱を持った紅茶を冷まそうと息を吹きかけて いるソフィーの隣に投げ捨てられた本を器用にどけてハウルは隣に身を沈めた。ソフ ィーがレティーに借りてきたという本はそんなにも読んだ後に考えさせるような難し い本だったのだろうかと横目でちらりと投げ捨てられた本を見てみると、中身はソフ ィーがここまで悩むような内容なんかじゃなくて、ただの単純な物語のようだ。ペー ジをぱらぱらとめくって見れば、内容はお姫様と王子様のありがちなラブストーリー のようなのだが。
「そんなに面白くなかったの?」
もしかしたら機嫌悪いのかもしれないという思いから多少遠慮がちに問いかけてみる とソフィーは案外機嫌を損ねてはいないらしく、「ううん」とあっさりと否定の言葉 を吐き出した。
「ただね、また同じだわって思ったのよ」
「同じって、何が?」
ソフィーはハウルの顔を見ずに、真正面の壁だけをじっと見つめ続けてハウルからも らったマグカップに一口口をつけて、程よく冷めた紅茶を喉に流し込んだ。
「また、お姫様と王子様がくっついちゃったのよ」
それはいけないことなのだろうかとハウルは一瞬面食らって、飲もうと口元まで運ん でいたマグカップをその状態のまま静止させて隣に座るソフィーを見つめた。ソフィ ーは至極真面目な顔をしていて、それが冗談ではなく本心だという事を確認するとハ ウルは小さく笑いを漏らした。
「王子様とお姫様がくっつくのは嫌いなんだ?」
「違うわよ!ただ・・・」
「ただ?」
勢いあまってずっと壁を見つめていたソフィーがここで初めて睨むような形でハウル を視界に入れて勢いで否定を露にしたもののその勢いも束の間であっという間にソフ ィーの声は小さくなっていく。ハウルは何だかだんだん楽しくなってきて、笑いが出 てくるのを止められずにいた。
「ただ・・・お姫様は王子様以外に好きにならないのかしらって思っただけよ」
それを聞いたときに変なところに疑問を持つなあと思ったと同時に何処となくソフィ ーをとても可愛らしくも感じた。けれどもソフィーの歳になってそんな王子様とお姫 様がくっつくのがわかりきっている本ばかりを読んでいればそんな疑問も持ちたくな るものだろう。子供が読むにはお姫様と王子様は結婚して幸せになりましたで納得す るかもしれないが、歳を重ねるにつれてそれもだんだん飽きてくるのだろう。そうい った時には違うストーリーで一味違ったエンディングを味わいたくなるのかもしれな い。
「そうだね。僕もお姫様と王子様が幸せになる話しはあまり好きではないよ」
そういうと今度はソフィーが不思議そうなきょとんとした顔でハウルを覗き込み、あ どけない無垢な瞳で「どうして?」とたずねてきた。その時覗いてきたソフィーの顔 があまりにも可愛くてハウルはキスをしたい衝動に駆られたのだが、そこは何とか理 性で耐えた。後がとても酷いことになりそうだったから。
「王子様とお姫様なんてありきたりじゃないか。だったら、お姫様と従者とかってい う禁断ぽい方が好きだな」
ソフィーは瞬間口に含んだ紅茶を勢いよく吐き出しそうになりそうになったのだが、 懸命にそれを堪えて、苦しそうに喉を鳴らした後何とかゴクンと喉の奥へと流し込ん だ。まるで変人を見るかのようなソフィーの目つきにハウルはにっこりと微笑んで、 持っていたマグカップをテーブルにコトリと置くと、ソフィーの持っていたマグカッ プも取り上げて、並べるような形で隣り合わせにおいておく。その間、ハウルは少し 距離があったソフィーとの隙間を体をずらす事でその距離を縮めて、ずいずいと顔を 近づけた。
「な・・・何?」
何かを企んでいる時に見せるハウルのこの不適な笑みにソフィーはぞくりとするもの を感じて思わず近づいてくるハウルから逃げるような形で身を退けていく。こういう 顔をするときのハウルはろくなことを考えない。もうこうして自分の保身のために身 を退けるのはソフィーの癖になってしまっていた。
「いや、僕がもし従者だったらソフィーはお姫様だなーと思って」
危険な恋もしてみたかったね?と企みをたっぷりと含んだ笑顔でハウルは言ったのだ が、この現実でのハウルとの恋愛もある意味危険な恋ともいえるんじゃないかとソフ ィーは思った。
どさりとソファの上に寝転がるような体勢になったソフィーにハウルは上から覆いか ぶさって、無防備に投げ出されたソフィーの片手を取るとそっと手の甲にキスを落と し優しく微笑んだ。今のこの状況からはどうにもすることが出来ないソフィーは複雑 な表情を浮かべたままされるがまま事の始終を見つめていた。ハウルは様々な顔を持 っていてソフィーの前では特に甘えたり寂しがったりと子供っぽい面を見せる事がほ とんどなのだが、こうして時々悪戯っぽく笑っていまひとつ何を考えているのかわか らないハウルをソフィーは一番苦手としていた。
「あなたが望んでくれるのならば、僕は全てをあなたに捧げるのに」
物語の中の従者でも演じているつもりだろうか。ソフィーは頬に口付けを落としてく るハウルに硬く目を閉じて軽く拒否反応は示したものの特に嫌がる風を見せる事無く されるがままになっていた。ふんわりと香る花の香りが鼻をつき、薄っすらと目を見 開いた瞬間、悪戯が成功したようなハウルの目にしっかりと捕らえられてしまった。 「どこまでも一緒に逃げましょうか。お姫様」
ふんわりと笑ったハウルは、ソファを流れているソフィーの髪を人房掴むとゆっくり と目を閉じて唇を落としていく。ハウルの行動や言葉たちは、時々酷くソフィーを酔 わせてくる。甘美な響きで脳を麻痺させて、体の自由を奪うんだ。
「あんたに従者は、ちっとも似合わないわ」
そうかもしれないねと笑いながら言ったハウルの髪の毛を仕返しといわんばかりにく しゃと掴んでほんのりと赤みがさした頬で睨みつけながら呟いた。
こんなの、心臓に悪いったらありゃしない。