教師と生徒という立場から一変して恋人同士という関係になれたのがつい  最近のこと。先生の告白から数日たったある日に渡された甘い砂糖菓子の  ようなキスとお揃いの指輪は今ではソフィーの一番の宝物となっていた。
あまり派手なものが好きではないソフィーの性格を考慮してハウルは派手  好きなのにもかかわらずちゃんと目立たないシルバーリングを選んできて くれたことにも小さな愛情を感じ、ソフィーは胸のうちが温かくなるのを  感じた。細いソフィーの指にその指輪はぴったりとはまって、目立たない  ながらもしっかりと光沢を発しているそれはソフィーの指を一層際立たせ  た。幸せでいっぱいだったその夜に、けれどもソフィーはつけてもらった  指輪をすぐに外して大事そうにポケットの中にしまいこんだ。幸せに満ち  溢れていたハウルの顔は一瞬にして焦燥と落胆の色を見せてどうして外し  てしまうのかと声を荒げてソフィーに食って掛かった。癇癪に近いハウル  の動向にもソフィーは意外にも冷静になっており、混乱状態に陥っている  ハウルを優しくなだめて哀しそうに微笑んだ。
“だって、同じ指輪をしてたら関係がばれちゃうかもしれないじゃない。
もし学校に付き合ってることがばれたらもう一緒にいられないわ”
いつも強がってばかりいる彼女が見せた哀しそうな微笑は、ハウルの胸に  深く突き刺さり、思わず小さな少女の体をぎゅっと抱きしめた。そんなの  ばれてしまっても、構わないのに。もし、そんな言葉が言えたのならばど  んなに楽だったのだろうか。
ハウルはソフィーのポケットから先ほどしまわれた指輪を取り出して再び  少女の指につけると、驚きと焦燥を見せてその行動をやめさせようとした  ソフィーの口にそっと静止をかけるかのように指を当てて静かにさせると  ソフィーの目の前で自分の手にはめていたお揃いの指輪をするりと外して  ポケットにしまいこんだ。手のひらに収まるくらいの小さな指輪なのに、  外した瞬間、薬指が酷く寂しく感じたのだが、決して顔にはださなかった。
“それは虫除けも兼ねてるんだから、ソフィーはつけていて。代わりに僕  が外すから”
ソフィーは笑った。それは今にも泣き出しそうなくらい儚く、触れれば壊  れてしまいそうなくらい脆い笑顔のように見えた。ソフィーは笑った。そ  して小さく「ありがとう」と呟いて「ごめんなさい」と呟いた。


「あー!!先生指輪してるー!!」
広い食堂の奥の席で、一人の女子生徒が大きな声を張り上げた。昼休み中  だということで、周りも随分と騒がしくなっていたのだが彼女の驚きの声  は食堂中に響き渡るような大きな音だったので、一瞬周りが静かになって  声を出した彼女のほうに視線が集まったような気がしたのだがそれも一瞬  の事で、食堂はあっという間にもとのざわめきを取り戻した。
大声を出した女の子を含む、複数の女子生徒の中心に座っていた一際目立  つ容姿を持つハウルは指の指された自分の指に視線を流して「ああこれ?」  と特にこれといった反応は見せず冷静に返事を返した。
「彼女にもらったの?てか彼女いたの?」
叫んだ女子生徒とは別の生徒が興味津々で食い入るように指輪を見つめな  がら指輪について問いかけてくる。その他の女子生徒たちもその質問の答  えを知りたいのか普段五月蝿いくせにここぞとばかりにしんと静まり返っ  てハウルの返答を待ちわびた。ハウルの指に入っている指輪が軽く光沢を  放った。
「そう、彼女にもらったの」
ハウルを囲うようにして座っていた女子生徒たちから「えー!!」などと いう批判を含む悲鳴とともにハウル達が座っている席のすぐ近くの方で、  何かが硝子のようなものが落ちて床に響く音がした。悲鳴をあげていた少  女達は一瞬悲鳴をストップさせて何だ何だと後ろを振り返ると、そこには  スプーンを床に落としてしまって焦りながらスプーンを拾っている赤い髪  の女の子の姿が目に映った。一緒に食事をしている友達に「何してるのよ」  と呆れられながら必死にスプーンを拾う女の子の姿にハウルを囲う少女達  はさして興味を示す事無く、またハウルの方へと振り替えり仕切りなおし  と言わんばかりに再び悲鳴を漏らした。「先生彼女いるのー」とか「ショ ックー」と口々にため息を漏らす少女達の後ろ側で、スプーンを拾う間際  じっとりと睨むようにしてハウルを見た愛しい彼女の姿にハウルは小さく  笑いを漏らした。
「ねえ、先生の彼女ってどんな人なの?やっぱり美人?可愛い人?年齢は?」
聞きたいことを一気に聞いてきた叫び声を上げた少女に見せびらかせるわ  けではないが、薬指にはめた指輪を優しく撫でるとふっと微笑んだ。
「すごく可愛いよ。それに美人だし。あとは内緒」
女子生徒達は口々に不満を漏らして「何それー」などと叫んでいたが、ハ  ウルはこれ以上何も言うつもりは無かった。本当はここでソフィーの事を  を紹介して(というか自慢して)ソフィーが誰のものなのかということを  はっきりと知らせておきたいところなのだが、さすがにそういった見せし  めのような事はソフィーには酷だろうと思いハウルはそれ以上何も言わな  かった。
「ねー。付き合ってどれくらいなの?」
「そうだな、2年くらいかな」
「長いー!!そんなに長く付き合ってるのに何で今更指輪なんてしてきた  の?遅くない?もしかして結婚するの?!」
「いいね。したいな、結婚」
瞬間不満を漏らす少女達の後ろに座り、先ほどスプーンを落としてしまっ  たソフィーが今度は真っ赤な顔をしながらスプーンとフォークをいっぺん  に落としてしまい、友達に呆れられるどころか今度は心配されながらまた  しても一生懸命焦りながら拾いはじめる。ハウルを囲う女の子達も振り返  ったが「何あれ」と数人かが口々に漏らしただけで、先ほどよりも早くに  彼女たちはハウルのほうに意識を返した。ソフィーの顔が真っ赤で、先ほ  どから楽しそうに友達としゃべっている姿を時々横目で見ていても、意識  と耳はしっかりとこちらにむけてくれているんだなということを目の当た  りにするとハウルは胸の高揚が抑えられずにいた。可愛いな、ソフィーは。
「指輪はね、彼女が恥ずかしがり屋さんだからなかなかさせてくれなかっ  たんだよ」
ちらりとソフィーの方を見ながら話すとソフィーは友達と話しながらも僅  かに体を反応させた。無意識のうちか意識的にかはわからないが、ソフィ  ーの左手の薬指につけてある指輪が右手で隠されて、ハウルは寂しいなが  らも小さく笑いを漏らす。
「何それ、かわいそー先生。なのに何で今日はしてきたのー?」
「僕のワガママ、かな」
自嘲気味に漏らした笑みに、周りの女子生徒達は笑ったり貶したり本気で  ショックを受けている子がいたりと様々だったが、ハウルの意識は近くに  座るソフィーに全て向けられていて彼女達の声や態度は一つもハウルの視  界には入っていなかった。
「よくそんな人と付き合ってられるねー。あたしだったら絶対にふっちゃ  うな。気持ちも冷めちゃうよ」
一人の女の子がそう呟いたと同時に、ソフィーの手にぐっと力が篭ったこ  とをハウルは見逃さなかった。ソフィーはどんな事情があったとしても感  情を表にだそうとはしない。強いところだけでなく弱いところも見せて欲  しいのに。けれども、ソフィーは顔には出さない代わりに体によく感情が  現れてくる。今は恐らく-------
(あ、不安がってる)
ハウルは小さく、けれどもはっきりと自分の意思を述べた。この声がソフ  ィーに届くようにと。
「それはないね。僕は彼女のことが大好きだから、別れる事があるとした  ら、それは僕が振られる時だと思うよ。僕から別れを切り出すことは絶対  にないな」
そういうと同時にハウルはがたっと椅子を鳴らして席を立つと、食べてい  た食事を手際よくしまい、にっこりと微笑んで女子生徒達に別れを告げた。
まだまだ聞き足りない少女たちは懸命にハウルを引き止めて、まだいいじ  ゃんとかもっと聞かせてよとか口々にまくし立てていたけれども、ハウル  は足を止める事無く進み続けて、しばらく歩いたところで振り返るとにっ  こりと微笑んで、
「こんな話してたら彼女の声が聞きたくなったから。電話してくるよ」と  周りにざわめきが起きるのもお構いなしに、ハウルは至極冷静に言葉を放  った。ハウルが学食から姿を消す間際、ハウルがちらりとソフィーの方を  見て何か言いたげな視線を投げかけたのをソフィーは見逃さなかった。そ  してハウルの姿が見えなくなると同時にソフィーのハウルからもらった携  帯が小気味よい振動音を鳴らしてテーブルの上に小さな動きをもたらした。
話の流れから電話が掛かってくるものとばかり思っていたのだが、意外に  もそれはただのメールで、ソフィーは激しくなり続ける振動音を切って送  られてきたばかりのメールを開いた。
ドクンと大きく心臓が飛び跳ねる。ソフィーはもういるはずも無いが先ほ  どハウルが出て行った食堂の出入り口を見つめながら、自分の顔が赤くな  っていくのを感じた。一瞬だけソフィーは動きを止めて、すぐにメールを  閉じて折りたたみ式の携帯をパチンと閉めると友達の話がまだ途中なのに  も関わらずソフィーはものすごい勢いで食事を片付け始めた。
「ど、どうしたの・・・ソフィー?」
わけもわからずいきなりものすごい勢いで片付け始めた友人の姿に目を白  黒させながらソフィーの友人は言葉を放った。真っ赤な顔をしているソフ  ィーの姿は体調が悪そうには見えないが普通の健康状態だとも言いがたい。
「ごめん。先に教室に戻っててもいい?」
あまりに急なことだったのでその言葉の意味がすぐに理解することが出来  なかったのだが、ソフィーの友人はソフィーの気迫に押されて反射的に首  を縦にぶんぶんと振り下ろした。何度も何度もごめんねごめんねと謝るソ  フィーは言いながらも着実に教室へと帰る準備を進めていって、準備が出  来ると同時に風の如く食堂を飛び出していった。


ソフィーは走った。人ごみを掻き分けながらもある一点を目指して走り続  けた。
題名は『怒ってる?』。
内容は『アイタイ』のたった四文字。
そのたった四文字が、ソフィーを生物準備室へと駆り立てていく。
アイタイ。
ソフィーは息を切らしながら、生物準備室の扉を開いた。