言葉っていうものは
人を嬉しくもし楽しくもする
でも、それと時に言葉は人を残酷に傷つける。

7:さようなら

エリザは貴族の娘で、いつもきらびやかな衣装に豪華な装飾品を身につけていた。
最初見たとき、こんな言い方は悪いかも知れないけれど、好都合だと思った。
エリザっていう名前を聞いたときには、もっと都合がよかった。
なぜなら、彼女の男遊びの噂は僕をしのぐほどだったから。
僕たちの関係に愛情なんてものは必要ない。
ただ一緒にいるだけでいいんだ。
けれども、僕がいつもの癖でついつい君に優しくしてしまうと、君は僕に心を開き始めてしまった。
しまった。と思ったときにはもうすでに後の祭り。
後には戻れないほど、エリザは僕を頼りにしていた。
エリザの口から家の事情を聞けば聞くほど突き放しにくくなっていって・・・ これって人が聞けばただの偽善っていうだろうね。
・・・・まったくもってその通りさ。



※※※※



ずいぶんと長い間ハウルはエリザのコトを探し続けた。
だいたい2人でいたのはがやがや町の近くだったから、きっと近くにいるはずだ。
ハウルは2人で行った店などを探しに探した。

何時間か探した後、とうとうハウルはエリザを見つけた。
エリザは2人でよく待ち合わせをしていたカフェのオープンテラスで一人、お茶を飲んでいた。
誰かを待っている様子でもないし、ただ単に一人でお茶を楽しんでいるらしい。
ハウルは走っていたせいで荒くなった息を整えながら、ゆっくりとエリザの座る椅子へと 近づいていった。

「エリザ」
そう名前を呼ぶと、エリザはコップを持ったまま視線だけをハウルにやった。
そして、ふっと軽く笑った。
ハウルがエリザの座る席に来ると、エリザはコップをカチっと置いた。
座ってもいいかい?とハウルが聞こうとしたら、その前にエリザが自分にむかって席に座るよう 促した。
ハウルは言われたとおりにエリザとちょうど向かい合わせになるようなかたちで席に座った。
エリザは何も何も言わずに再び紅茶を飲み始めた。
「エリザ、・・・・話があるんだ」
エリザは紅茶を持っていた手を一瞬ぴくっと動かしましたが、そのままゆっくりとコップを 机に置くと、にっこりと微笑みました。
「いやね、改まって。話って何かしら?
 次のデートの行き先とか?

   ・・・・・奥さんの話とか?それとも別れ話かしら?」

ハウルは今まさにしようとしていた話をピタリとあてられて、ドキッとした。
しかし、一瞬目を伏せると再びエリザの顔をしっかりと見据えた。
「そうだよ」
エリザは、ふっと笑うと再び紅茶を手に取ると、飲むことはせずにじっとその水面を見つめた。
しばらく2人の間に沈黙が続き、がやがやと町を行きかう人々の声が耳に入ってきていた。
すると、エリザがカップを机にコトンと置いたと同時に言葉を発した。
彼女の顔に微笑みは、もうない。

「私、知ってたわ。あなたが私になんの感情も持ってないことなんて」
エリザはカップから目を離し、自分たちが話している隣で歩き続けている人々を見た。
今日は休日のせいか親子連れがよく目に入る。
「多分、ハウル自身も気付いていないかもしれないけど・・・  服屋に入ったとき、あなたは私のよくきる豪華な刺繍のしてある服を  みるんじゃなくて、私が絶対にきないようなとても動きやすいシンプルなデザインの服を最初に  見るのよ。靴屋に入ったときもそうだった。
 極めつけは・・・あなたは赤毛の子が隣を通ると振り返ってその女の子の顔を見るのよ」
気付いてた?
そう言って、エリザはハウルがここにきて初めてハウルの顔をまともに見た。
彼女の瞳にはあきらかに悲しみが表れている。
「だから、あなたの奥さんをなくしてやろうと思ったのよ。  あなたも奥さんもいなくなってしまえばいいと思った。  許せなかったから。あなたが大好きで・・・大好きだったからこそ許せなかった」
ハウルを真顔でじっと見つめるエリザの目からとめどなく涙が溢れてきた。
ハウルは少し、顔をゆがめながらもエリザを見つめていた。
「あなたの奥さんを苦しめたとき、ざまぁみろって思ったわ。  とてもすっきりした気持ちだった。  だけど・・・・・・・・・・・・私が彼女に水をかけて出て行こうとしたときに彼女言ったのよ。  多分、本人の意識はなかったと思うけど・・・・・

ごめんね、って。
産んであげられなくてごめんねって、泣きながら言ってたの。 何度も、何度も。」
エリザはハウルから目を離し、再びすっかり冷めてしまった紅茶に視線をやると、 自分の両手で自分を抱きしめるような格好をすると震える声で言った。
「・・・・怖かった。すごく、怖くなったの。  水をかけたときには、何とも思ってなかったのに、すごく怖くなった。」

この町はこの時間とてもうるさくなる。
押し売りする声や、子供の泣き声だって聞こえる。
だけど、今のハウルの耳には何にも聞こえていなかった。
聞こえるのは彼女の嗚咽と自分の中で自分を叱咤する声だけだった。
お前のくだらない妄想でまた一人、泣かせてしまったな。と。
前までは別れを告げて、誰が泣こうがわめこうがどうでもよかったし、何も感じなかったのに・・・ 心臓が戻ってしまったからだろうか。今は、やけに痛い。

今までじっと黙ってエリザの話を聞いていたハウルが静かに言った。
「ソフィーと子供は・・・・無事だよ」
ハウルは穏やかに、優しい目をして彼女に言った。
エリザを責めることなく、怒ることなく。
確かにエリザのしたことは許されることじゃないけど、責めるべきは彼女じゃないと思うから。
エリザは涙に濡れる顔をハウルに向けると、両手を手にあてて泣き続けた。
「ごめんなさい。・・・ごめんなさい、ハウル・・・」
エリザは何度も何度も泣きながら謝った。
ソフィーが無事だと知っての安堵の涙か、ハウルが自分の側から離れてしまう悲しみの涙か。
「ごめんね、エリザ。僕はもう君の側にいてやることはできないんだ。  本当に大切なものが何なのか・・・気付いたから」
それはとても穏やかに、けれども力強く。
ハウルの言葉に対して、エリザはただただ涙を流すばかりで何も返事はしなかった。
ハウルはゆっくりと席を立つと、この場を離れようとくるっと方向を変えて歩き出した。
「・・・・・・・・ハウル」
ハウルが3歩ほど歩いたところでエリザはハウルを呼び止めた。
エリザの呼びかけにハウルは顔だけをエリザに向けた。
エリザは俯きながら嗚咽を上げて、小さな声でハウルに問いかけた。

「あなたの奥さんがもし亡くなってたら、ハウルは私のところへ来てくれた?」

ハウルは、くすっと笑った。
「ソフィーが死んじゃったら、僕が生きている意味がなくなってしまうよ」

さよなら、エリザ。
それだけ言うとハウルは、もう二度と振り返ることなく帰ってしまった。
何か大切なものを手に入れた少年のように足早に。

エリザはハウルが歩いていった方を見つめた。
「・・・・・・・・バカハウル」
本当に好きだったんだから。
エリザの小さな呟きは、誰に聞こえることもなく人々の騒がしい声にかき消された。



※※※※



城の扉の前に付いたハウルは妙に心が落ち着かなかった。
この扉を開ければソフィーがいる。
マイケルがそう簡単にあわせてくれないとは思うけれど、会ってみせるさ。
ハウルはゆっくりと扉を開いた。

「わっ!!」
ハウルが扉を開いたと同時に、勢いよくこの城を出ようとしていた人物とぶつかってしまった。
「マイケル」
マイケルはハウルとぶつかってしまった衝撃で1歩2歩後退すると、驚いたようにハウルを見た。
そしてすぐにまずったというような少し青ざめた顔をした。
「・・・・・・ハウルさん」

まだ自分はソフィーに会うべきではないと思われているんだろうか。
なんだか少し気まずい沈黙があたりに流れた。
すると、ずっとばつの悪そうな顔をしていたマイケルが急に”すみません”と謝り始めた。
また自分に対して叱咤を受けると思っていたのにまさか謝られるとは。
ハウルは目を大きく見開いてマイケルをじっと見つめた。
すみません。ハウルさん。
そういい続けるマイケルの行動がさっぱりわからなくてハウルは少し困りながらマイケルを見つめた。
しかし、次の瞬間ハウルの頭の中でピンと来るものがあった。
マイケルの泣きそうな顔に勢いよく飛び出そうとした行動。すみませんの一言。
 そして、この城の静けさ!!
ハウルはマイケルの隣を通り、城の中へと勢いよく走って入ってきた。
そのまま止まることなく階段を何段か飛ばしながら上っていった。
目指すは僕たちの部屋。


バンッッ!!!
ハウルは扉が壊れそうなほどの勢いでドアを開けた。
この扉を開けるのも久し振りのコトなんだけれども、そんなことは頭のカケラにもなかった。
勢いよく入ったその部屋にあったのは
誰も眠っていないベッドに、微かなソフィーの香りだけだった。
ベッドの上においてあったのは、ハウルがよくメモに使っていた白い紙が一枚。
ハウルはその紙を震える手で手に取って読むと、その紙ごとぐっと拳を握り締めた。

まただ。
僕達はまたすれ違う。
やっと君にいえると思ったのに。
やっと会えると思ったのに。

ソフィーが残した白い紙には、ソフィーが書いた文字とともに
彼女が流した涙が乾くことなく生々しくそこへ残されていた。



  ”さようなら。そして、ごめんなさい”



それは僕がソフィーから一番聞きたくなかった言葉。
それが聞きたくなくて、こんな愚かな行為に走ったというのに。
結局僕は、自分で自分の首を絞めていたんじゃないか。

いやだ、嫌だソフィー。
僕を一人にしないで。


なぜだかわからないけれど、急に僕たちがまだ幸せだった頃のソフィーの笑顔を思い出した。
花を抱えて笑う君は、本当に愛しくて愛しくて。

「大好きよ、ハウル」

      ------------行かないで-------------