昔からこの赤がね色の髪の毛が好きじゃなかった。いつのまにか伸びてしまった髪の毛はもう腰のあたりまできていて、くせっ毛のおかげで いろんな方向にはねる髪を誤魔化すようにひとつに束ねるくくり方をするようになってからもうずいぶんと経った。いっそのこと切ってしまいたい とも思うがなかなか自分の時間を持つことができず、放置してしまった髪の毛はなんだか美しさのかけらもない。
昔の自分ならば鏡を見た瞬間にため息を吐くのが日課になってしまっていたのだが、慣れというものは恐ろしいものでその癖もすっかりとなく なってしまった。それでも時々店に来る綺麗な髪の女性を見たときには、ついつい自分の髪の毛と比べてしまいなんだか酷く情けない気持ち になったりしていた。


HEARTLESS<<5>>


晴れ渡った青空の下、ソフィーは今日も元気に咲いてくれた花たちを抱えながら店を開ける準備をしていた。なぜかここ数日は天気のせいも あるかもしれないが花たちがとても元気に咲いてくれていて、それに比例していつも以上に花が売れていく。少し忙しくなるにあたって体の疲労も 多くなるのだが、それ以上に元気な花たちが売れていく様を見るのはソフィーにとっては非常に嬉しいものだった。
「おはよ、ソフィー」
大きなあくびをしながらいつもと全く同じ時間にハウルは顔を出してきて、ソフィーに近づいては抱きついてこようとする手をソフィーは手馴れた 手つきでさらりとかわすとそっけなく挨拶を返した。しばらくは店の扉のほうから入ってきていたのに、いつのまにか家の方から顔を出すようになり、 店を開けるときだけここに来ていたハウルだったのだが、最近では休みの日にまで入り浸るようになっていた。
四六時中椅子に腰を掛けて店を見続けているのが飽きたのか、見よう見まねでソフィーの仕事をしていくうちにずっとではないが、時々手伝うよう になった。邪魔をされるよりはマシだという思いでハウルのやることに口を出さなかったソフィーだったのだが、ハウルの働きぶりは思ったよりも店の 助けになっており、今まで何かとハウルに文句を言っていたソフィーもあまり強くいえないような状況になっていたのだ。
色とりどりの花を手にしたハウルは、どの花をどこに入れていくのかをすでに完璧に把握していて、手際よく花生けに花を入れていく。ハウルには 店の事などほとんど教えていないというのにハウルはいつのまにか完璧に配置等を覚えていて、ソフィーもそれには開いた口がしばらく閉じなかった。
「ソフィー、なにボーっとしてるの?」
ソフィーの目の前でハウルの手がひらひらと舞っているのを見て、ソフィーはふと我に返った。ハウルの手にはソフィーが持っていた花の2・3倍は あったというのにそれはすっかりとハウルの手から消えて、店に綺麗に陳列されていた。ハウルよりも早くにここに花を持ってきたというのにソフィー の手にはまだまだ花が残っていて、意識を取り戻したソフィーは慌てて手に持っていた花たちを陳列し始めた。
「・・・っ!」
指先にちくっとした痛みが走り、反射的に手を引っ込めたソフィーの指先からはじんわりと血が滲み出てきていた。慌てて花を持ち上げたせいで 花の棘が刺さってしまったようだ。やってしまったという顔で血が滲み出てきた指先を口にくわえ、ソフィーはふと前に立つハウルを見た。
ハウルはソフィーの手からそっと花たちを取ると、手馴れた手つきで続きをしはじめるとあっという間に仕事は終わり後は店の開店を待つのみ となってしまった。
「・・・・ぁ・・・ありがと」
ハウルに礼を言うのは少し癪な気がするがここは素直に礼を告げ、どことない居心地の悪さに苛まれたソフィーは指をくわえたまま俯いて 綺麗に磨かれた床をじっと見つめていた。
「いつまで舐め続けるんだい?それともそれは舐めてほしいという"振り"かい?」
ハウルの言葉にソフィーは瞬時に顔を上げてくわえていた指を外すと、少し顔を赤らめて「違うわ!」と大きめの声で言葉を返した。ハウル はくすくすと笑いながら「冗談だよ、冗談」と言うと、ソフィーの手を取り店の奥まで連れて行き椅子に座らせると、血が止まって いるのを確認し、どこから見つけてきたのか消毒液でしっかりと消毒をしてくれた。こんなキズ、舐めておけば治るものなのにも関わらず ハウルは丁寧に消毒を施し、最後にテープまで巻きつけてくれた。
「大げさね」
ソフィーは困ったような顔を見せながらも、それでもハウルがここまでしてくれたことが少しだけ嬉しくて最後に少し笑みがこぼれる。
ハウルが「惚れ直した?」と冗談交じりに言う言葉にソフィーは「馬鹿ね」と返事を返しながら自然と二人の表情は笑顔になっていった。
そしてかがんでいたハウルが腰を上げようとした瞬間、ハウルの肩まで伸びている金色の髪の毛がさらりとソフィーの目の前に流れて、つい いつもの癖で自分の髪の毛と比較をしてしまったソフィーは、ハウルの髪を見つめながらぐっと唇をかみ締めた。
「・・・綺麗な髪・・・」
思わず出てしまった自分の言葉にソフィーは驚いて両手で口を押さえ、ハウルは一瞬わけがわからないと言った表情で「え?」と 言葉を返した。ハウルに聞こえていなければ"なんでもない"で終わらせられていたかも知れないが、8割ぐらいはハウルの耳に届いて しまっていたようで「僕の髪がなに?」と不思議そうにこちらを見ているハウルに、ソフィーは誤魔化すことができなくなり、口をもごもご させながら小さな声で「髪が・・」とだけ呟いた。
「・・・綺麗な髪の毛ね」
ソフィーは困惑した表情を見せ、ハウルから逃げるように視線を別の方向へ向けながらもう一度言い直した。ハウルは相変わらず不思議 そうな顔でソフィーを見ていて、髪?と呟きながら自分の髪を掴んでソフィーに見せた。
「ソフィーの髪の毛も綺麗だと思うけどなぁ」
にっこりと笑いながら言うハウルをソフィーはキッと睨みつけると少し機嫌が悪そうな声で「冗談はやめて」と呟いた。
「私の髪なんてこんな色してるし、くせっ毛だし・・・綺麗だなんて、お世辞でも嬉しくないわ」
ソフィーは口をへの字に曲げて機嫌が悪く怒っているような顔つきをしているのに、声は絞り出したかのように小さくなんだか今にも泣き出して しまいそうな声だった。
ハウルは、くすっと笑いを漏らすとすっかりとへそを曲げてしまったソフィーの手を取り椅子から立ち上がらせると、そのままソフィーの手を引き、 もうすぐ開店時間だというのにも関わらず家のほうへと向かっていく。
「ちょ・・ちょっと!もうすぐお店を開ける時間じゃない!どこへ行くの?!」
ハウルはソフィーの問いかけに返事を返すことなく歩き続けて家の中へと入っていくと、静かに扉を閉めた。

××××

家に戻ってくるや否やハウルはすぐさままたソフィーを椅子に座らせて、ソフィーが座った椅子の周りに何か紙のような ものを敷き詰め始めると今度はタオルをソフィーの体に巻きつけ始めた。ソフィーはハウルが仕様としていることに気が付くと顔を 真っ青にさせた。
「ちょっと、ハウル!あんたまさか今から髪を切る気じゃないでしょうね!」
部屋の棚から勝手にはさみを持ってきたハウルはソフィーの言葉ににやりと口元を歪ませて、その通りといわんばかりにはさみを しゃきしゃきと動かした。逃げようとしたソフィーにハウルは後ろからソフィーを抱きしめて、その場に縛り付けるとソフィーの耳元 に口を近づけ「動くとあんな事やこんな事しちゃうよ?」と囁くと真っ青だったソフィーの顔が、一気に真っ赤になっていき、ぐっと 唇をかみ締めながらハウルをにらみつけると、いやいやながらもソフィーはその場に留まった。
大人しくなったソフィーを確認すると、ハウルは抱きしめていた腕を離し、機嫌よさげにまた準備を始めた。
(・・・・信じられない)
機嫌よく戻ってきたハウルにソフィーは不安を隠しきれず、そっとソフィーの髪の毛に手を掛けたハウルにソフィーは大きな声を あげて行動に静止を掛けた。
「ちょっと待って!」
ハウルはいったん手を止めた。
「一応聞くけど、何するつもり?」
「何って・・髪を切るつもりだけど?」
さも当たり前のように言うハウルにソフィーはどこをどう怒ればいいのかわからなくなり、困惑した表情を見せながらじっとハウルの顔を見つめていた。
「そんな心配そうな顔しなくても、僕は結構上手だよ?」
「・・そういう仕事している人なの?」
「僕が仕事してるような人間に見える?」
「・・・」
ならば一体どこからそんな自信が生まれてくるのだろうかとソフィーは思い、ソフィーがますます不安の色を濃くし始めた時には、ハウルの手は すでにソフィーの髪を切りにかかっていた。ザクッザクッと長年手をつけていなかった髪の毛が切り落とされていく音が聞こえてきて、もうここまで きてしまってはソフィーも抗うこともできず、どうにでもなってしまえと思ったソフィーは半ば自棄になり俯いていた顔を、すっと上げた。
目の前に鏡がないため、自分が今どういう状況になっているのか全くわからないのだが、ひらひらと自分の頭から落ちてくる髪の毛達を見ると、 自棄になったとはいえどうにも不安は隠せない。
「不安だって顔してるね」
「あたりまえよ」
プロでもなければその経験があったわけでもない自称プロの手なのだから不安を持ってあたりまえだ。恐らく自分は実験台なのだろう。 恐らくハウルは頭の中でイメージしているものが自分の手ならばできると過信していて、ソフィーは満身創痍な男の実験台なのだ。
「信用ないなぁ」
くすくすと笑いながらもハウルは着実に手を動かしていき、ソフィーの髪の毛をざくざくとここぞとばかりに切り落としていく。
ソフィーはせめて坊主にはなりませんようにとそれだけを願い、ぎゅっと目を閉じた。


「できたよ」
ふと頭の上から声がかかり、ソフィーは閉じていた目を恐る恐る開けた。開けたからといって自分の今の姿が見えるわけではないのだが どうやら髪の毛はまだしっかりと残っているようでソフィーが考えていた坊主になるという最悪の展開は免れたようだ。
ハウルはソフィーの体にくっついている髪の毛を丁寧に払いながら、体に巻きつけてあったタオルを徐々に外していく。改めて下に落ちて いる髪の毛を確認すると、ソフィーが思っていたよりもだいぶ多めに髪の毛が落ちていて、それを見ただけでソフィーは血の気が引いきそう だった。
「はい、どうぞ。お姫様」
渡された手鏡をソフィーはすぐに見ようとはせず、いったん膝の上にのせて大きく深呼吸をした後、決死の思いで鏡に自分の姿を映した。
「どう?」
「・・・」
思わず、声がでなかった。
髪の毛の長さは全くと言っていいほど変わっていないのだが、あっちこっちといろんな方向へと向いていたくせのある髪の毛はすっかりと落ち着き、 なんだかつやのなかった髪の毛が驚くほど輝いて見える。
「・・自分じゃ、ないみたいだわ」
「だから言ったじゃないか、綺麗な髪だって」
そういってハウルは整えたばかりの髪の毛に再び手を掛けると、今まで伸びきってひとつに束ねることしかした事がなかったソフィーの髪にハウルは まるで魔法を掛けていくようにさらにアレンジをくわえていく。あまり派手なことが好きではない自分に合わせたシンプルで落ち着いた髪型にソフィーは ただただ目を丸くする事しかできなかった。
「魔法みたいだわ」
「僕は魔法使いだからね」
そんな冗談交じりなハウルの言葉もなんだか今では本当なんじゃないかと思ってしまいそうだった。
「はい、完成」
普段とあまり変わらない結び方をしているのだが、ソフィーみたいにくせ毛を隠すためにぎゅっと縛り付けたようなくくり方ではなく、 ふんわりとした女の子らしい髪型になっていた。同じ結び方でも少しアレンジをくわえればこんなにも変わるものなのだとソフィーは 思った。
「ソフィーは、その髪の色もくせのある髪もあまり好きじゃないみたいだけど、僕はソフィーの髪の毛好きだよ。とても綺麗だと思うし、 その髪の色もとても暖かそうだ」
(暖かそう?)
「ふふっ」
「どうして笑うんだい?」
今まで生きてきた中で、この髪の色を暖かそうだなんていった人なんて一人もいなかった。どんな人もソフィーの髪を見ては一度は振り返り、 時には笑われ、時には嘆かれて、人にどれだけ素敵な色なんだから気にすることないわよといわれても全く心に響かなかった。けれどもハウルに "暖かい色"だといわれると、まだこの髪の毛を好きにはなれそうにないけれど、なんだか少しだけ嬉しかった。
「ありがとう、ハウル」
そういってソフィーは、ハウルと出合って初めて心の底からの笑顔を見せた。
「・・・やっと笑ってくれた」
「え?」
「なんでもない」
ハウルはそういうと足元に散らばっている髪の毛たちを箒で綺麗に掃いていき、床に敷き詰めていた紙を集めてはゴミ箱にぽいと投げ捨てた。
「ソフィー、店を開けなくてもいいの?」
ハウルの言葉にソフィーはすっかりと店を開けることを忘れてしまっていたのか小さく声を上げて近くにおいてあった時計をちらりと見やると、いつも 店を開ける時間から1時間半も遅れてしまっていて、バタバタと足早に店のほうへと走っていく。花達は大丈夫かと見回った後、いつもよりもだいぶ と遅い開店を迎えた。
次々と入ってくるお客さん一人ひとりに丁寧に対応をしながらいつものように花を売っていくソフィーに、お客さんもいつもとなんだか雰囲気が違う ねと声を掛けてくれるのが嬉しくて自然と笑みがこぼれてくる。それ笑顔につれられて、一人、また一人とこの店内に足を運んできて、いつもよりも 遅れての開店時間となったのにも関わらず店内に並べられた花達はいつもの数倍早く売れ、おかげで閉店時間を前に店を閉じる事となった。
店の扉を閉めて鍵を掛けたときにはすっかりとあたりは暗くなっていて、休む暇もなく一日がすぎてしまったソフィーは片づけを前にちょっと休む つもりで椅子に腰をおろした。
「お疲れ様」
椅子に腰を降ろしたと同時に後ろのほうから声が掛けられて、ソフィーがふと後ろを振り返るとハウルが扉にもたれかかりながらひらひらとこちらに 向かって手を振っていた。
「今日はなんだかとても人が多かった気がするわ。店を開けるのが遅れてしまったのに、見ての通りもう全部売れてしまったの」
どっと疲れたが、やはりこれだけ綺麗に売れてくれるととても嬉しいものだ。ソフィーが姿勢を元に戻して椅子に座りながら店内を見渡していると こつこつと後ろのほうから靴音が聞こえてきて、ぴたりと自分の真後ろで靴音が止まったかと思うとハウルに結ってもらった髪の毛が一瞬にして 解かれてしまった。
ソフィーは驚いて後ろを振り向くと、そこにはハウルが困ったような顔をして立っていて手にはソフィーがつけていたリボンを持っていたので 髪を解いたのはどうやらハウルのようだ。
「なにするのよ」
せっかくしてくれた髪の毛を簡単に解かれてソフィーは若干ムッとしながら訴えた。
「僕はとんでもないことをしてしまったようだよ」
「?」
一体何をいいたいのかわからなくて、ソフィーは不思議そうな顔でハウルを見つめた。
「ソフィー、今日はずいぶんと男の客が多かったと思わないかい?」
なぜそんなことを聞くのかわからないが、ソフィーは言われたとおり今日一日のことを振り返ってみるも本当に今日は忙しかったので インパクトのあるお客さんは思い出せても男性客のほうが多かったかどうかなんて全く覚えていない。
「よく思い出せないわ。どうしてそんな事を?」
ハウルは大きくため息を吐くと、持っていたリボンをソフィーに渡した。
「僕はダイヤの原石をどうやらダイヤにしてしまったようだよ」
「どういう意味?」
ハウルが何を言いたいのか何を言っているのかがさっぱりわからずその上、どうして髪をほどいてしまったのかもわからない。
ハウルはハウルで勝手に元気をなくしてしまっているし、男性客が多いとかダイヤがどうとか関連性が全く見つからない単語を並べられても ソフィーには全くわからなかった。
ハウルはソフィーの髪の毛にそっと触れた後、「髪を綺麗に整えるのは、二人きりの時だけにしようって事だよ」といったのだが、 ソフィーには相変わらず何が言いたいのかわからなかった。