HEARTLESS<<4>>


ソフィーは箒を手に持って置いてある花たちから落ちてしまう葉っぱを丁寧に掃除しながら、今日も綺麗に咲いてくれた花たちを一本一本 見て回り、水の状態は大丈夫か、元気のない花がいないかどうかを点検するのがいつもの仕事だった。不思議な事にたとえ元気のない花 が出てきたとしてもソフィーが少し手を加えればその花はあっという間に元気を取り戻し、他の花と変わらない美しさを見せてくれるように なるのがソフィーの密かな自慢だった。ぐるりとある程度見回りが終わったところで、箒をいつもの定位置に戻すとソフィーは腰に手を当て ながら店の奥に視線を走らせると小さくため息を吐いた。
「どうして毎日来るのかしら・・・・」
もう何度目になるかわからない言葉をソフィーはうんざりした表情で独り言のように話し、店の奥の小さな椅子の上に腰掛けている金色の髪の 男のほうに近づいて行くと、男のすぐ近くで先ほどよりも少し大きめにため息を吐いた。そんなソフィーの心情を知ってから知らずか目の前に居る ハウルはソフィーの盛大なため息にも全く動じることもなく、腰に手を当ててこちらを見ているソフィーを見上げてにっこりと微笑んだ。
「おやソフィー。仕事はもう終わったのかい?」
「そんなわけないでしょ。どうして毎日毎日ここにくるのかしら?」
「もちろんソフィーに会いたいからさ」
さも当たり前のように話すハウルにソフィーはがっくりと項垂れて「もういいわ」と呟くと鈍い動きでくるりと体を反転させて もと来た道をなぞるようにソフィーは再び仕事場へと戻っていった。
ハウルによくわからない恋人にする宣言をされたのが数日前の事になるのだが、その次の日からハウルは店を開けてから 閉めるまで毎日毎日飽きもせずこの店に顔を出していた。ソフィーが仕事をしている最中に邪魔をしようものならば声を 張り上げて立ち入り禁止だと強く言えるのだが、別段何かをするわけでもなくただ毎日同じ場所に座っているだけなので ソフィーも強く言うことができずどうして毎日ここへ来るのかとしか言うことができなかった。それにどうして毎日ここへ来る のか聞いても返ってくる返事はいつも同じで「ソフィーに会いたいから」の一点張りでまるで話にならない。しかし返ってくる 返事がわかっていてもソフィーはハウルに聞かずには居られなかった。
(・・・まさか恋人にするなんて言っていたけれど、本気じゃないわよ・・ね)
ふと湧き上がった疑問にソフィーは顔を硬直させて、また床に箒を走らせていた手をぴたりと止めた。よくよく考えてみてみれば あのおかしな宣言の後、自分ははっきりと断っただろうかと頭をフル回転させて思い出してみてもはっきりとした 言葉を思い出すことができない。
(・・ちょっと待って、確かにはっきりと断ってはいないかもしれないけれど、受け入れたつもりもないわ)
ソフィーはハウルにあの謎の宣言を受けてからすぐに冗談だと思い「バカ言わないで頂戴」と適当にあしらってそのまま 席を立ち、さっさとハウルから離れていってしまったのだ。こんな事になるとわかっていればちゃんとはっきりと断って いたのにと思っても、今となっては過去の自分を責めることしかできない。
もしかしたら勝手に恋人になってしまったのかしら。
でも了承の言葉なんて言ってないし。
(・・・わからない)
いくら考えてもハウルの心の中を覗き見ようと努力をしたところで結局は相手の考えている事なんてわかるわけもなく 自問自答を繰り返したところで答えなんて見つかるわけもなかった。ソフィーは考え込んでいるうちに自然と箒の柄の 部分を強く握り締めてしまっていたようでふと力を抜くと小さくため息を吐き、自分自身で考えていてもわからないのだと 自分に言い聞かせるととりあえず考えるのをやめて仕事に取り掛かろうとくるりと体を反転させたところでボンッと何かに ぶつかりソフィーは思わず小さな悲鳴を上げた。ぶつかった鼻をさすりながらふとぶつかったものを見てみるとそこには いつのまにかソフィーの真後ろにまで来ていたハウルが不思議そうな顔でソフィーを見ている。ソフィーと目が合うと ハウルは小さく微笑んで、鼻をさすっているソフィーに大丈夫?と問いかけた。
ソフィーは鼻から手を離すと、こくんと頷いた。
「・・・びっくりしたわ」
振り返ったらいきなりハウルにぶつかったのもそうだが、ずっと考えていた男が急に目の前に現れたことに対してもソフィーは驚いていて、 心臓が大きく跳ねているのを落ち着かせるように左胸を両手で押さえた。
「別に驚かせようと思ってきたんじゃないよ。ただ同じ場所で立ったまま動かなくなったから何かあったのかと思って」
まさかハウルの事を考えていましたなんて言えるわけもなくソフィーは俯いて「考え事をしていただけよ」と消え入りそうな声で呟いた。
しかし、ハウルが突然目の前に現れた事に対して居心地が悪そうにしていたソフィーだが、これは誤解を解くチャンスだと思い直し、 パッと俯いていた顔を上げるとソフィーを見て微笑んでいるハウルを見た。勢いで顔を上げてみたもののどうやって話を切り出す べきか考えていなかったソフィーは口を口を開いては閉じて、口を開いては閉じてを繰り返し、最終的にはまた俯いてしまった。
私達って恋人になったんじゃないわよね?
そういえば恋人にするとか言ってたけど、冗談でしょ?
切り出す言葉を考えれば考えるほど全てが不自然に思えてきて、普段こういう会話に慣れていないソフィーにとっては正解がなにか わからず唐突に頭が真っ白になってしまい、喉元まで出てきている言葉もすぐに飲み込んでしまう。
「ソフィー」
これ以上言葉を紡ぐ事ができなくなってしまったソフィーを前に、ハウルは唐突に名前を呼んだ。
居心地が悪そうにソフィーが顔を上げると、ハウルはその世界中のあらゆる女性を虜にしてしまいそうな微笑を見せながら さらりとソフィーの肩を流れる赤がね色の髪を優しく掴むとそのまま指を滑らせて愛でるように髪を撫でた。
「ソフィー、僕の恋人になってくれること少しは本気で考えてくれた?」
ソフィーは大きく目を見開いてハウルを見つめた。ハウルはまるでソフィーの考えている事がわかったかのようにソフィーが一番 聞きたがっていた事を自ら話し出してくれた。せっかくのチャンスを無駄にする事はできない。ソフィーはぐっと手に力を込めた。
「・・・ハウル。その事なんだけれど、私まずはあんたに謝らなくちゃいけないわ。その、恋人とかなんとかって冗談だと思ってて、 真剣になんて考えてなかった。・・・でもきっと、あんたに私なんかはあわないわ」
心臓が出てきてしまうのではないかと思うくらい大きく鳴り響いていた。ハウルの顔を直視することができなくてソフィーは 近くの花を見たり、床を見たり、挙動不審に言葉を続る。相手の気持ちを否定するのは、仕方のないこととはいえとても 苦しいものだとソフィーは思った。
「君は十分魅力的な女性だよ」
「買いかぶりすぎよ。・・世の中にはもっと素敵な女性がたくさんいるわ」
「でも僕はソフィーがいい」
「・・・・っ」
ソフィーがありとあらゆる言葉を使ってハウルを跳ね除けてみても、ハウルは全く動じていない様子で真っ向からソフィーに向かってくる。 そんなハウルにソフィーはとうとう対抗する言葉を失ってしまい、唇をきゅっとかみ締めて困惑した表情を浮かべるとすがる思いでハウル の顔を見つめた。ハウルは相変わらずにこにこと穏やかな表情を浮かべていてソフィーの思いもむなしく引く様子など微塵も感じられない。
これからどうしたらいいものかとソフィーが困惑していたその時、ハウルが唐突に両手でソフィーの顔を優しく包み込み、手際よくくいっと ソフィーの顔を上に上げて無理やり自分のほうへと向かせた。ソフィーよりもはるかに身長の高いハウルにあわせて上を向くとものすごく 首がいたい。
「キスして」
「へ?」
にこにことしているハウルとは対照的にソフィーは口をあんぐりと開けて狐につままれたような顔をしながら若干裏返った声で声を出した。
ハウルが先ほどの台詞をもう一度繰り返し言うと。ようやくソフィーの耳にしっかりと届いたのかソフィーは真っ赤な顔になると同時に キッとハウルを睨み付けながら「絶対にイヤよ!」と答えた。
「キスしてくれたらソフィーの事あきらめるって言っても?」
そのハウルの言葉に、ソフィーは一瞬にして体が硬直した。
「ソフィーからキスしてくれたらソフィーの事あきらめるよ。それに僕達は一度キスをした仲じゃないか」
「それはあんたが無理やり・・・!」
ソフィーは真っ赤な顔をしてそこまで口にするとそれ以上を言葉にすることができなくて思わず口を噤んだ。しかし、今は ハウルの言葉に翻弄されている場合ではない。たった1度自分からキスをするだけで、ハウルが自分の事を諦めてくれる という究極の選択がソフィーに迫られていた。どうしたものか。キスひとつで諦めてくれるのならば安いものではないか。 なんて事はない、少しの間唇を相手の唇にくっつけるだけでいいのだ。それだけでいままでの日常が戻ってくるのだから。
ソフィーは自分の頬を包み込んでいるハウルの手をゆっくりと解くと、ハウルの服をぎゅっと掴んで自分のほうへと引っ張り、背の高いハウルに キスをしやすくなるように背の高さを調節すると、いざ行かんと気合を込めて顔の近くまで来ているハウルの顔を見つめた。
こうやってまじまじとハウルの顔を見たことはないのだが、やっぱりとても整った顔をしていてなんだか違う次元の人に思えてくる。
どくんどくんと波打つ心臓がどうかハウルに伝わりませんようにと思いながら、ソフィーはぎゅっと唇を噛み締めた。
一度のキスだけ。
一度のキスだけ。
それだけで、全部が元に戻る。
一度の・・・・

瞬間、ソフィーは掴んでいたハウルの服をパッと離すと同時にドンとハウルを突き飛ばし、自分から距離を取らせると自然と止めてしまっていた 息を一気に吐き出して大きく深呼吸をした。
「ソフィー?」
不思議そうにこちらを見ているハウルを、ソフィーは真っ赤な顔をして息を荒めながら見つめた。
「ダメよ」
「え?」
ソフィーは緊張しすぎたのかだんだんと涙目になってきた。
「やっぱりダメ!ハウルがキスをどんな風に思っているかなんて私にはわからないけれど、私にとってはこういう事は やっぱり大事な人としかしてはいけないものだと思うわ!だから・・・」
息を荒めて必死にハウルに訴えるソフィーを見てハウルはきょとんとした表情を見せていたが、ソフィーが言い終わってしばらくした頃、 ハウルはふんわりと微笑んだ。
「じゃあ僕はソフィーを諦めないでいいってことだよね?」
ぎくっとしたソフィーは、もごもごと口を動かしながら「そういうわけじゃないけど・・・」などと蚊の鳴くような声で話している。
ハウルはソフィーの手を取り、自分の方へと引き寄せるとまだほのかに赤らんだ顔を見つめてにっこりと微笑んだ。
「ソフィー、キスしていい?」
「今の話聞いてた?だから私は・・・」
「普通のキスでもいいから」
「普通じゃないキスってなに?!」
きゃんきゃんとまるで子犬のように吼えるソフィーを見て、ハウルは冷え切った心の中が自然と温まるのを感じた。
「じゃあ、せめて抱きしめさせて」
ソフィーは首をふるふると横に振ってハウルを拒否したのだが、何度も「お願い」といわれているうちに、ソフィーの中にある壁のようなものが 少しずつ少しずつ崩れていくと同時に最終的にはソフィーは首を横に振るのをやめて、真っ赤な顔をしたまま俯いた。
首を振るのをやめられただけであって肯定されたわけではないのだけれど、ハウルはソフィーが首を横に振るのを やめた時点で肯定されたものだとみなし、恐る恐るではあるけれどもゆっくりとソフィーを自分のほうへと引き寄せた。
思ったよりもあっさりとソフィーは腕の中へと収まってくれた。さすがにソフィーから自分のほうへと手を回してくれる事は なかったけれども、ハウルはそれでも満足だった。
「これからもここに来てもいいかい?」
腕の中のソフィーは何も何も答えなかった。
真っ赤な顔をしたソフィーは一瞬何かを言おうと口を開けたが、言葉が出てくることなくその口はすぐに閉じられた。
ハウルにはそれが十分答えになっていて、自然と笑みがこぼれてくる。
「ありがとう」
ハウルは少し力を込めて、ソフィーをぎゅっと抱きしめた。