ここ数日降り続いた雨はようやく勢力を弱め、何日かぶりに青空が顔を出した。雨が降り続いていたせいか人々は家から出ようともせず、 この町もずいぶんと寂しい空気に包まれてしまっていたのだが、青空が見えたとたん一気に活気が満ちた町へ戻っていった。
せわしなく動いている人もいれば、数日降り続いた雨のせいでずいぶんとたまってしまった洗濯物を干している人もいる。
そんな中、一人の女性が細い腕に大量の花を抱えながら室内と外を行ったりきたりをくりかえしているのが目に留まった。人々が溢れ かえるこの町でひときわ目立つ赤がね色の髪の毛が印象的な少女。
ハウルはその少女の姿をみるや、にやりと口元を歪めた。

ハウルは窓際においてある椅子に腰を掛けて、頬杖を着きながら窓の下に見える小さな花屋を見つめていた。あまり繁盛しているとは いえなさそうだが、それなりに客は入っているようだ。
「ずいぶんと楽しそうね」
そんなハウルの様子を見ながら一人の女性がハウルに近づいてくると、はいと言ってハウルに自分が飲んでいるのと同じコーヒーを 渡すと、ハウルが座っている椅子から少し離れた場所においてあるソファに腰を下ろした。
「そうかな」
ハウルは渡されたコーヒーを冷ましながら答えると、また窓の外を食い入るように見つめた。先ほど見ていた赤がね色の髪の少女は 花を買いにきたおばあさんらしき人と楽しそうに会話をしている。
家の中からではよくわからなかったが、この間開放してくれたソフィーの家は花屋を経営しているようだ。ソフィーにちょっとした "いじわる"をした後外に出て家の外装を見たときに小さな看板が掛けてあるのが目に入りそこで花屋を経営しているということがわかったのだ。
ハウルはそんな小さな花屋の真向かいの家の一室にいた。集合住宅になっているこの建物はそこまで古くは無いのだが、結構な 年季の入った部屋だった。しかし、それがまたいい味を出していて本人いわくなかなか気に入っている部屋らしい。
ハウルとここに住んでいる女性もいつも通りになりゆきで知り合った関係で、ずいぶんと疎遠になっていたのだが、 ”あの少女がいる花屋の前に住んでいる”という事を思い出してハウルは急遽連絡を取ったのだ。
「なかなかいい景色のところにすんでいるんだね」
彼女は驚き不思議なものを見るような目でハウルを見ると、ハウルが見ている景色を見てはまた不思議そうに首を傾げて 「花屋と周りの家の屋根しか見えないんだけど」とつぶやいたのだが、ハウルは楽しそうに口を歪めて窓の外を見つめながら 返事は返さなかった。



HEARTLESS<<3>>



ソフィーは近くにおいてあった花を抱えていそいそと店のほうへと走っていった。表にでるといきなりまぶしい光が自分たちを照らしソフィーは久しぶりに顔を 出した太陽を目に手を当てながら嬉しそうに見た。ここ数日降り続いていた雨のおかげで室内に置いてあった花々達もなんだか元気がないような 気がしていたのだが、今は十分に陽の光を浴びてとても元気そうな顔をしている気がする。
店に来てくれるお客さんたちと何気ない世間話を楽しみながら花屋を営んでいるソフィーは、この仕事が大好きだったのだが、ひとつ不満というか心配事が あるとすればそれは花の種類が少ないことだった。ソフィーは自分ひとりの手で丹精こめて花を育てて一番きれいに咲いた花だけを店頭に飾っているという こだわりがあったのだが、やはり一人だけでは限界もある。それだけがソフィーの唯一の悩みだった。

人の出入りもまばらになってきた頃、ソフィーは一息ついて陽にあたる場所においてある椅子に腰を下ろすとふうと小さく息を吐いた。 ふと空を見上げながらソフィーは、まるで嵐のような人だったハウルを思い出していた。あまりにもひどい雨の音で眠ることができずふと目を覚まして 偶然外を見たのがきっかけで、最初に見たときこんなにも綺麗な男の人がいるのだと驚いたものだ。
それなのに・・・
ソフィーは恥ずかしさと怒りが混ざり合って自分の顔がだんだんと熱くなってくるのを感じ、両手で自分の顔を覆い隠した。まさかあんな形ではじめて キスを体験することになるなんて思いもよらなかったのだから。ソフィーは持っていたタオルを引っ張ったりくしゃくしゃに丸めたりと行き場のない感情を タオルにぶつけていた。
「すいません」
そのとき唐突に向けられた声にソフィーは驚き、また自分が意味も無くタオルを丸めたり引っ張ったりしている様子を見られたことに対してまたしても 顔を赤らめながらふと顔を上げて恥ずかしさを誤魔化すように笑顔を見せながら声のするほうを見た。そしてその顔を見るや否やはにかむようにして 笑顔を見せていたソフィーの顔は一瞬にして笑顔を失い、赤く染まっていた顔はあっという間に真っ青になり、ソフィーの体はその場に張り付いてし ったように硬直してしまった。
「こんにちわ」
見覚えのあるさらさらの金色の髪と、忘れもしないあの不適な笑顔。つい先ほど頭の中で考えていた人物が目の前にいるのだから。もう二度と会うこと など無いだろうと思っていたのにこんなに早くにまたしても自分の前に現れるなんてソフィーにとっては狐につままれたような話だ。
ハウルは店の入り口近くに立ちながらこちらにひらひらと手を振っている。その様子を見てはソフィーは反射的に持っていたタオルをハウルに向かって 投げつけたのだが、タオルでは威力が足らずハウルに届く前にひらひらと地面へと落ちてしまい、すぐさまソフィーは近くにおいてあった水入りの水差しを ハウルに向かって思いっきり投げつけた。
ハウルがひょいと軽くかわすと思いっきり投げられた水差しは、からんからんと音をたてて人々が行きかう飛び出していき、通行人たちが驚いてソフィーの方を 見ていたが、ソフィーはそんな視線などお構いなしにハウルをキッと睨みつけていた。
「女の子がこんなもの投げるものじゃないよ」
ハウルはそういうと通りに転がっていった水差しを拾いに行き、驚いている通行人に愛想よく謝罪を述べていると近くにいた女性たちが一気に沸きあがる。 その様子を見ていたソフィーは自分の中でさらに怒りが湧き起こるのを感じた。
「何しにきたのよ!」
今度は植木鉢でも投げてやろうかと何も入っていない空の植木鉢を振りかぶると、水差しを持ってこちらに向かってきていたハウルがさすがにそれはまずい と両手を前に出してソフィーを止めにかかった。さすがに植木鉢を本気で投げようとは思っていなかったのだが、ソフィーは少し冷静さを取り戻したのかゆっくりと 持っていた植木鉢を床に置くと、自分自身を落ち着かせるかのように大きく深呼吸をした。
うかつにソフィーに近づけば噛み付かれかねないと思ったハウルは恐る恐るある程度までソフィーに近づくとゆっくりとソフィーに細長い傘を見せた。
「ほら、傘だよ。借りた傘を返しにきたんだって」
見たことのある傘。それはハウルが帰る際にソフィーが使わないものだからと言ってハウルに差し出したものだった。
「使わないからあげるって言ったはずよ!」
一向に警戒心を解こうとしないソフィーに、ハウルは困ったように苦笑いを漏らした。何とかソフィーの近くまで行こうと一歩を踏み出すと、ソフィーは ハウルから逃げるように一歩後ろへ後退してしまうのだ。
「ソフィー、勝手にキスをした事を怒っているのなら謝るよ!だから機嫌を直してくれないかい?」
「大きい声で言わないで!」
だってこんなに離れてたら小さい声では聞こえないじゃないか。いったいどうしたらいいって言うんだ。
ハウルはガシガシと頭をかきながら、持っていた傘を地面に置いて2・3歩後ろへ後退すると、両手を掲げて降参のポーズをソフィーに見せた。
「ソフィー、何もしないから。離れていてもかまわないからもう少し近づいて話をしてくれないかい?」
ソフィーはハウルを見て、それから地面においてある傘を見て、もう一度ハウルを見てしばらく考え込んだ後、完全に警戒心を解かないまましぶしぶ ゆっくりとハウルの方へと近づいていく。地面においてある傘からから少し離れた場所でソフィーは足を止めると、近くにあった箒を手に取り、 ハウルが何かをしでかしても対処できるように攻撃態勢をとるとさらに一歩一歩ハウルに近づいていった。
「・・・」
ぷーっと何かを噴出すがハウルから聞こえてきて、ソフィーが慌てて2・3歩ハウルから退き箒を掲げてハウルを見ると、思いのほかハウルはお腹を 抱えてくすくすと笑っていた。自分のしている事が笑われているのか、なんだかソフィーは恥ずかしくなってきて、真っ赤になりながらソフィーは 攻撃態勢で掲げていた箒をゆっくりと下ろすとソフィーは、ふんとそっぽを向いた。


××××


ようやくソフィーが少しだけ警戒心をといてくれたのか、家の中までご案内・・というわけには行かなかったが、店を一時閉めると、店の奥のほうまで 入れてくれた。
「別に店を閉めてくれなくてもよかったのに」
ハウルがそういうとソフィーは少しむすっとした声で「あんたと一緒にいるところを他のお客さんに見られたくないだけよ」と悪態をついた。
やっぱりまだまだ怒ってるんだなと思ったハウルは苦笑いを見せたものの、怒っていながらもソフィーはハウルにしっかりとお茶を用意してくれた事に ハウルはわずかに暖かさを感じほんの少しだけ気持ちがらくになった。
「悪かったよソフィー。いきなりキスなんてしてしまって」
若干距離をとりながらも自分の隣に座っているソフィーは、少し頬を赤らめながらもふいと横を向いてしまって返事をしようとはしなかった。
今までこんなに扱いにくい女性は会ったことがないハウルは、ソフィーに対してどう対応していいものかわからなくなり、あーでもないこーでも ないと頭の中でぐるぐると考え込んでいるうちにすっかりと二人の間には沈黙が流れてしまっていた。
ソフィーが出してくれた紅茶に写る自分の姿がなんとも情けない姿だとハウルは思った。
「でもソフィーも初めてじゃあるまいしそんなに怒らなくてもいいのに」
とうとうこれ以上の謝罪の言葉が見つからないと追い詰められたハウルは、ついつい思っていたことを口に出してしまった。ソフィーに渡した 紺色の傘の持ち主はきっと以前付き合っていた彼のものなのだろう。そんな人がいるのならばキスのひとつやふたつ・・・
と、ハウルが何気なしにソフィーを見ると、ソフィーは俯きながら真っ赤な顔をして何がそうさせているのか体を震わせていた。
そんなソフィーの姿を見れば、さすがのハウルも気がつくというものだ。
「もしかして、初めて・・・だった?」
せっかく警戒心が少し緩和されたと思ったのに、ソフィーはここにきたときと同じように敵対心をむき出しにさせてキッとハウルを にらみつけた。まだ持っている紅茶を投げられたり逃げられるよりかはまだましな状況なのかもしれないが、よくない状況な事には 代わりは無い。
「じゃあソフィー、あの紺色の傘は誰のだっていうのさ」
慌ててハウルは別の話題に変えようと思ったのだが、ふいに出た言葉がそれだった。しかし、あの傘が一体誰のものだったのか 気になるといえば気になるところなので、ハウルはあえてさらに別の話題には変えようとはせず、ソフィーの言葉を待った。 なにかしら怒鳴られるか無視をされるか、あんたには関係ないでしょのどれかを言われるとハウルは思っていたのだが、ソフィー の態度はその選択の中のどれにも含まれておらず、怒るどころか少し顔を暗くさせてどこか寂しそうな表情を見せた。 もしかしたらこの話は立ち入ってはいけない話なのかとも思ったのだが、あいにくハウルの中にはそんな思いやりという代物は 持ち合わせていなかった。
そしてソフィーの言葉をしばらく待った後、ソフィーがようやく口を開いた。
「・・・・父のよ」
まるで搾り出すような声で言ったソフィーにハウルはそれ以上聞くことができず、黙り込んでしまった。今はいないのだろうが、 それが亡くなってしまったのか、どこかへ行ってしまったのか・・・聞けばきっとソフィーは答えてくれるのだろうが、どうしても そんな気分にはなれなかった。
気がつくとソフィーは、ハウルのさらに後ろのほうにおいてある棚を見ていて、つられるようにハウルも後ろを振り返ってその方向を 見てみると、ガラス張りになっている棚のひとつに一人の男性の写真が飾ってあった。ふんわりと真綿にくるまれたような暖かい 笑顔の男性がこちらに向かって微笑んでいる。しかし、そこにある写真はずいぶんと昔のもののようですっかりと色あせてしまって いた。
「ずっと前に病気でね」
そう話すソフィーの顔は、とても寂しそうな顔していた。少し俯いた後すぐにまた前を向いてすっかりとさめてしまった紅茶を一口 飲むと、先ほどの少し寂しそうな表情はもうどこかへ消えてしまっていた。
きっと彼女の心の中には、寂しさや悲しさを溜める貯金箱みたいなものがあって、きっと負の感情はそこへ貯金されていっているんだろう。 そんな彼女の姿に、ハウルは自分の中の感情がざわざわと動き出すのを感じた。

カノジョヲシリタイ

じっとソフィーを見つめていたせいか、ハウルの視線を感じてソフィーがふとハウルの方を見ると、いつになく真剣な顔がそこにはあり、 経験上なにかまたしようとたくらんでいるのではないかと感じたソフィーは、またしてもハウルを睨みつけながら「なによ」とぶっきらぼうに 言葉を吐いた。
そんな悪態にハウルは、ふっと笑いを漏らしてソフィーが出してくれた紅茶に一口飲むと、すぐ後で一気に紅茶を飲み干した。甘すぎず、 苦すぎず。ソフィーの紅茶は自分好みのとてもおいしい紅茶だと思った。
「ソフィー。今まで付き合った男性の数は?」
ソフィーはいきなり言われた言葉に目を丸くして、頬を赤らめてふいっと横を向いた。
「そんなことあんたに関係ないわ」
それでもハウルは表情を変えず、もう一度ソフィーに同じ質問を繰り返す。
「付き合った男性の数は?」
何でそんなことをいわなくちゃいけないのと、あんたに関係の無いことじゃないといわれても、ハウルは一向に引こうとは せず、何を言われても何度も何度もソフィーに同じ質問を繰り返した。
もう何度同じ質問を言われたのかわからなくなるくらいになったとき、とうとうソフィーの方が根負けをしてしまい、 とうとうハウルの質問に対してゆっくりと首を横に振った。
「・・・・いないわ」
恥ずかしそうに、けれどどこか悔しそうにも見えるソフィーを見てハウルはソフィーに次々と質問を投げかけた。
好きな動物、好きな時間、好きな食べ物、好きな場所。
意味のわからない質問ばかりをされて、その一つ一つにソフィーも答えていたものの、終わりない質問の数々に ソフィーもだんだんと痺れを切らしてきた。
「ハウル!一体なんだっていうの?わけがわからないわ!」
表情を変えないハウルに、ソフィーはどこか不安さえも覚えて何だか無性に怖くなる。ソフィーにはハウルの考えている事がさっぱりわからなかった。
ハウルは少し笑いながらごめんごめんと軽く謝り、今度は机に頬付けをつきながら何かを見定めるような目でソフィーを見つめる。
何だろう、この居心地の悪さは。よくわからない質問は投げかけられるし、終わったと思ったら今度はじっと見られるし。ソフィーはとうとう居心地が 悪くなってとりあえずここから離れようと立ち上がったそのとき、ハウルにぐっと手を掴まれた。
「な、なに・・・?」
ソフィーが困ったような顔でハウルを見ると、ハウルはしばらくソフィーを見た後「決めた」と小さくつぶやいた。瞬間、掴まれていた手にぐっと 力が入り、中途半端に腰を上げていた状態から一気に椅子に戻された。隣り合わせに座っていた状態から、椅子を動かされてなぜか向かい 合わせの格好で座らされて、もうソフィーには何がなんだかわからなかった。

「次の恋人はソフィーに決めたよ」

唐突にいわれた言葉に、ソフィーの全ての思考回路が停止した。
この出会いの全てがソフィーの人生を変える事になろうとは、このときは知る由も無かった。