HEARTLESS<<2>>
窓からほんのり差し込んでくる光と、近くで何かカチャカチャと聞こえてくる物音で ハウルはふと目が覚めた。まだ頭がはっきりとせずぼやけた視界にまず飛び込んで きたのは見たことも無い天井だった。
一体ココはどこなんだろうかとハウルは身体を起き上がらせようとしたが、身体が 思うように動かず、意識がはっきりしてくるにつれて頭に鈍い痛みが走った。まるで 堅い鈍器のようなもので殴られたような感触がして、ハウルは苦しそうに一度目をぎゅっと 閉じた。痛みがなれてきたところで、薄っすらと目を開き、動かない体はそのままで 動く首だけをゆっくりと横へと動かした。
見たことも無い部屋だとハウルは思った。実際ここは部屋なのかどうなのかわからないが、 なんだか殺風景なところでこのベッド意外特に目立った家具が見当たらない。
「目が覚めた?」
ふいに頭の上のほうから声をかけられて、ハウルは視線だけを上のほうに向けると、 そこには何だか見覚えのある赤がね色の長い髪の毛の女性が目に入った。
彼女は目が覚めたばかりのハウルの額に手を当てると、うーんと唸っては少し難しそうな 表情を見せると、近くにあったタオルを水に浸し堅く絞るとそっとハウルの 額に乗せた。ほどよく冷えたタオルのおかげで熱をどんどん冷ましている感覚が とても気持ちがよくて、ハウルはもう一度目を閉じた。
「・・・ここは?」
ハウルは目を閉じながら、彼女にふと問いかけた。
カチャカチャなにか作業をしていた音がピタッと静まり、少し空白を置いた後彼女が 作業をし始める音が聞こえた。
「ここは私の家よ、あなたすごい熱で倒れたの。覚えてる?」
彼女の問いかけにハウルは無言のままこくんと頷いた。
ハウルは目を開けると、まだ言うことを聞こうとしない身体と力の入らない腕を 使ってやっとの思いで上半身を起こすと、ベッドに座って改めて彼女の顔を見つめた。
歳は恐らく自分よりもはるかに年下だろう。印象的な真っ赤な髪の毛が腰辺りまで のびていて、小さな顔に大きな瞳ととても整った顔をしていたが、その美貌とは 相反して彼女の服装はとても質素なものだった。まさに宝の持ち腐れ状態だ。
彼女はハウルに冷たい水を差し出すと、ハウルはその水を手に取り一気に身体の 中へと流し込む。身体の中から熱が引いていく感じがした。
「ありがとう」
にっこりと微笑んでグラスを彼女に渡すと彼女の顔がみるみる赤に染まっていき、 顔の赤さを隠すように彼女は俯きながら受け取ったグラスを机に置くと、 近くにあった椅子を持ってきてハウルから少し離れた場所に腰を下ろした。
ハウルは周りを改めて見渡してみるものの、やはりこの部屋は殺風景で家具という 家具がほとんど見当たらない。本当に寝るだけの部屋、といった感じだ。 ここが彼女の部屋なのかどうかはわからないが、どうにも女の子らしさに欠けている。
「助けてくれてありがとう。君の名前を聞いても?」
女性はまだほんのりと頬を赤く染めながら答えた。
「ソフィーよ。ソフィー・ハッター。あなたの・・・名前は?」
ハウルは同じ質問を返されたことに少し困ったように苦笑いをしてしばらく考え込んだ末に 「ハウル」と名前だけを答えた。ハウルは自分の名を他人に明かすことを嫌っており、 数々の出会ってきた女性達にはそれぞれ別の名前を教えてあった。しかし、ソフィー にだけは何故かわからないが直感で”この女性なら名前を答えても大丈夫だ”と 変に確信が持てた。
「あなたはどうしてあんなところに?」
いきなり確信をついてきたソフィーにハウルは苦笑いを返して「どうしてだろうね」と 軽く流した。まさかどこの誰かもわからない女性と寝た後、居心地が悪くなって外歩いて いたら熱出しましたなんていえるわけが無い。そもそもなぜあんな大雨の中外を歩いた のかさえ自分自身でもよくわからなかった。
そんな曖昧な返答にさえソフィーは、変な態度をとる事もなく、くすくすと笑っては よくわからない人ねと言葉を返しただけで特に詮索をしようともしなかった。
「可愛い彼女にでも振られてしまったのかしら?」
ソフィーは冗談交じりにくすくすと笑いながらハウルに問いかけた。
そんなソフィーの問いかけにハウルはきょとんとして、まぁ確かにあれはある意味別れ だったのかもしれないが振った振られたという以前の問題な気がするなどと、あれやこれやと 真剣な顔で考えていたのだが、そんなハウルの真剣な様子にソフィーは勘違いをしたのか 突然慌てたように謝罪を述べた。
「へ?」
いきなりの謝罪にハウルは驚いてソフィーを見ると、ソフィーは申し訳なさそうにハウルを 見ては居心地が悪そうに俯いた。
「ごめんなさい。ほ、本当にそんな理由だったなら謝るわ。その、悪気はなかったの」
どうやらソフィーは自分があそこに座り込んでいたのは彼女に振られた所為だと勘違いを してしまったようで、ばつの悪そうな顔をしている。ハウルはまたしてもきょとんとして しまって返す言葉がすぐに出てこなかった。
しばらくしんとした空気が流れた後、ハウルは小さく笑いながら「そんなんじゃないよ」と 自分を責めるソフィーに言った。ソフィーはしばらく半信半疑の顔を見せた後、にこっと 笑ったハウルの顔を見て、ほっとしたように胸をなでおろすとよかったと小さく呟いた。
「本当にそうだったらどうしようかと思ったわ」
すっかり安堵の表情を見せているソフィーに対して、ハウルは少し不思議そうな顔をで ソフィーを見つめた。
「ねぇソフィー、さっきはどうして謝ったりしたの?」
一瞬ソフィーは何のことを言われているのかわからずに、面食らったような顔でハウルを 見たが、ハウルは相変わらずわけがわからないといった感じでソフィーを見ていた。
「なぜって・・。別れは悲しいものじゃない、それを思い出させてしまったのかと思った からよ」
ハウルはしばらく考え込んだ後、自嘲気味に笑いを漏らすと「そうだね、別れは悲しいよね」 とソフィーに聞こえるかどうかという小さい声で呟いた。
正直ハウルは今まで生きてきて、哀しい別れというものをした事がなかった。関わってきた 女性は恋人なのかそうじゃないのかわからない曖昧な関係なものが多かったし、その日限りの 付き合いも多かったため、悲しむほど別れを惜しむなんてしたことがなかったのだ。 関係を持ってきた女性たちは全ていずれは別れを告げる前提での付き合いだったから。
「おかしな事を聞くのね」
くすくすと笑いながらソフィーはハウルのところまで近づいてくると、座っていたハウルを もう一度寝転がるようにと促し、すっかりと温められてしまったタオルを濡らし固く絞ると ゆっくりとハウルの額に乗せた。寝転んでしまうと何だかまた睡魔が襲ってきて、自然と 瞼が重くなる。
ソフィーがまた何か作業を始めた音が聞こえてきたと思ったら、どんどん意識が遠のいて いき、すぐにハウルの意識は夢の中へと行ってしまった。
次に目が覚めたときには、辺りはすっかりと暗くなっていたけれども、ここ数日降り続いて いた雨が少し緩和されたのか激しい雨の音は無くなって優しい水の音へと変わっていた。 眠る以前にはあった身体のだるさや頭の痛さもすっかりとなくなっていて、自分自身では よくわからないかもしれないが手を額に当ててみてももう熱もほとんど下がったといっても いいくらいだ。
うすぐらい部屋の中をハウルはぐるりと見渡して、ソフィーがいるかどうかを確認したが どうやらここにはいないようだ。この部屋の扉がうっすらと開いていて、向こう側の蝋燭の 光がこの部屋に筋を作っている。ハウルはその光を伝って扉の方まで歩いていくと、 部屋の向こうからはずいぶんといい香りがしていた。
遠慮がちにハウルが扉を開くと、その部屋はリビングになっているようでハウルが眠っていた 部屋よりも大きくて、殺風景な部屋とは一変して少し凝ったリビングになっていた。
その部屋の隅の方で机に座り何かをしているソフィーの後姿を見つけた。ハウルが扉を開ける とキィと小さな音が響き、その音に反応してソフィーがゆっくりとこちらを見た。
「おはよう」
もう陽もすっかりと沈んでしまった時間におはようもないと思うのだがハウルはつられて おはようと言ってしまった。
ソフィーは縫い物をしていたようで、針と糸をいったんテーブルへと下ろすとそのまま席を 立ち、ハウルに冷たい飲み物を渡した。
「調子はどうかしら?」
ハウルはソフィーに向かって元気が出たというジェスチャーを見せると、ソフィーはくすくす 笑いながらよかったわと小さく呟いた。
ハウルは差し出されたスープに口をつけながらぐるりと辺りを見渡した。綺麗に掃除が行き届いている室内はとても落ち着いているが、 暮らすのに必要なものが、必要な分だけ置かれているあまり遊びのない空間とも言えた。
ソフィーはスープを飲んでいるハウルの目の前で先ほどの縫い物の続きをしていた。ふたりの間に会話は無く、どこかでなっている 時計の針の音がやけに大きく聞こえる。
ハウルはちらりとソフィーを見た。冷静になって考えてみると、ずいぶんとうまい話じゃないかと思う。
あんな朝方の時間に倒れてしまったにも関わらず、間髪いれずにすぐにソフィーが自分の元へやってきて、名前も明かさず事情も聞かずに どこの誰だかわからない自分をここまで介護してくれた。何のメリットもなしにここまでしてくれる人がこの世にいるだろうか。
ハウルはソフィーの真意を問いただすようにソフィーを見るも、ソフィーはハウルの視線など知ってか知らずか黙々と作業を続けている。 何かの罠だろうかと思い、何か怪しいものはないかと辺りをもう一度見渡しても、先ほどみた風景から特に変わりは無い。 ソフィー以外に人の気配も感じないところを見ると、やはりこの少女は善意の塊なのだろうかとハウルは思った。
ここでこうやって自分ひとりで自問自答したところで全く意味の無いことだと気がついたハウルは、残っていたスープを一気に 飲むと、黙々と作業をしているソフィーに「ありがとう」といいながら空になった器を差し出すと、いそいそと帰り支度をし始めた。
「もう大丈夫なの?」
心配そうに聞いてくるソフィーにハウルはにっこりと微笑むとここにくるときに来ていた上着に袖を通しながら「もう大丈夫」と 返事を返した。
「もう少しソフィーのお世話になっていたかったんだけど、これ以上迷惑をかけるわけにもいかないからね」
ハウルは残念そうな顔を見せながら、ソフィーに言うとソフィーは真っ赤な顔をしてその顔を隠すようにぐぐっと顔を俯けて しまった。ハウルはそんなソフィーの様子を見ながら、どうにもソフィーのこの反応が演技には見えず、ハウルは ソフィーの優しさが善意か罠かという選択で真っ先に前者を選んだ。
ここまで世話をしてもらって助けになったのはとても感謝しているのだが、どこかの誰かもわからない相手に対して全く警戒心が ないというのも考えものだと思う。
ハウルはうーんと唸りながらどうしたものかと首をかしげた。
「ソフィーは、僕がどうしてあんなところにいたのか気にならない?」
まだほんのりと頬を赤く染めながらハウルの顔を見ると、しばらく考え込んだ後小さく首を横に振った。
「気にならないと言ったら嘘になるけど、人には話したくないことだってあるもの」
そういって微笑むソフィーにハウルは小さくため息を吐いた。これは本物だ。
ハウルは玄関の扉をわずかに開けて外を確認するとまだわずかに振っている雨を見て思わず眉間にしわがよる。
同じように外を見たソフィーがぱたぱたと急ぎ足で部屋のほうへと戻っていくと、誰が使っているのかソフィーには 似合わない紺色の男物の傘を持ってきた。
「もう使わないものだから」
ハウルが何かを察したと気がついたのかソフィーはどことなく居心地が悪そうにハウルに言った。
あまり男慣れしていない子だと思いきや、こんなものを持ってこられるとハウルとしてはなんとなく面白くなかった。
ハウルは少し投げやりな礼を言うと、出て行こうとドアノブに手を掛けた。しかし、手を掛けたところでハウルは そのまま立ち止まり、ちらりと隣に立つソフィーに顔を見た。
「ソフィー、助けてもらっておいて言うのもなんだけど、もう少し警戒心を持ったほうがいいんじゃないのかな?」
ソフィーは不思議そうな顔でハウルを見つめいている。
ハウルは至極まじめな顔でソフィーに言ったのだが、しばらくするとソフィーはくすくすと笑いながら「そうね気をつけるわ」 などと全くハウルの忠告など耳に入っていないかの口ぶりで答え、ハウルはそんなソフィーの様子が無性に腹が立った。 こんな事を言う自分もこんなことに腹が立つ自分もなんだからしくない。普段のハウルならばこういうやつは一度痛い目に 合わなければわからないのだと突き放してしまうのだが、どうにもソフィーにはそんなことをいう気にはなれなかった。
瞬間、ハウルはのほほんとしているソフィーの腕をぐっと掴み、そのまま自分のほうへと引き寄せるとそのまま後頭部に手を 添えて、いきなりのことで全く今の状況についていけていないソフィーの唇にゆっくりと自分の唇を重ねた。
ソフィーの身長にあわせてずいぶんと姿勢を低くしたつもりなのだが、それでもまだ足りていないのか自然とソフィーがつま先 立ちになってしまっている。
長いキスの後、最後にぺろりとソフィーの唇を舐めて唇を離すと、ソフィーはずっと息を止めていたのか一気に息を吐き出した。
ソフィーはふらふらとした足取りでハウルから離れると、後ろにあった壁にもたれかかると、ずるずるとその場に崩れ落ちた。
何がおきたのかわからないといった顔をしていたが、しばらくすると今の状況がわかってきたのかみるみる顔が赤くなると同時に 今まで見たことも無いような表情でハウルを睨みつけていた。
ハウルがソフィーのほうへと近づいていくとソフィーは逃げようと必死に足を動かすが、腰が抜けてしまっているのか全くその場から 動けていない。ハウルはにやりと笑いながらソフィーの目の前にしゃがみこむと、くいっとソフィーの顎に手を添えて無理やりこちらを 向かせた。
「だから言ったじゃないか。もう少し警戒心を持つべきだって」
ソフィーから向けられる敵対心が何だからおかしくて、ハウルは自然と口元が緩んでしまう。
ハウルはソフィーに反応に満足したのかすぐに立ち上がり、ドアノブに手を掛けると今度は扉をすっと開いた。ドアを開けると ひんやりとした空気が部屋に入り込む。雨はずいぶんと小雨になっていた。
ハウルは出て行く間際にソフィーを見て、捨て台詞のように言葉を吐いた。
「悪いやつもいるってことだよ」
そういってハウルはその場を後にした。