声を出せば、届くだろうか。


HEARTLESS


ここ数日降り続いた雨は今夜もやみそうに無かった。ゴウゴウと音を立てて 振り続ける雨は窓ガラスを激しく叩き、それに拍車をかけるように大きな風も 吹き荒れる。嵐とまではいかないが、ここ数日はとても強い雨が降り続いている。
「すごい雨ね」
椅子に座りながらぼんやりと雨が振り続けている町並みを眺めていたハウルに 言った。ハウルはちらりと彼女を見ると、さして興味もなさそうに「そうだね」 と呟く。女性がこちらに近づいてくる足音がすると、ハウルは逃げるように椅子から 立ち上がり、今度はベッドに勢いよく寝転がった。
テーブルにおいてある唯一の蝋燭が二人の影をゆらゆらと揺らしている。薄暗く しんと静まり返った室内には、外から聞こえてくる豪雨の音だけが響いていた。
「どうして逃げたりするの?」
女性はくすくすと笑いながらベッドに寝転がるハウルの上にまたがるようにして 圧し掛かり、じゃれるようにして軽く頬に口付けをすると、すぐにハウルの唇を 奪った。くすくすと笑いながら彼女は慣れた手つきでハウルを誘惑していき、キスの 雨を降り注いでいく。美しい漆黒の髪の毛がハウルの頬をかすめるたびに、その髪からは 思わず食べてしまいたくなるような甘い匂いが鼻をくすぐる。
しかしハウルはまるで興味がないように冷めていて、彼女がしている行為全てに対して どこか客観的に見つめていた。身体は彼女の誘惑にしっかりと答えているのにも関わらず 心はどこか冷めていて、なんだか楽しい気分にもなれず、外でずっと降り続いている 雨の事がなぜかずっと気になっていた。
「だめよ、ハウル。余所見なんてさせてあげない」
こちらに集中している”ふり”をしていたつもりでいたのだが、上に乗っている彼女には ここにハウルの心は無いということがわかったのか、両手でハウルの顔を包み込んで ぐいっと自分の顔にハウルの顔を近づけると、今度は深く深く口付けを交わした。 きっとされるがままになっている自分が彼女は気に入らなかったんだろうと気がついた ハウルは、彼女がどうすれば喜ぶのかということを頭の中で計算すると、その計算式を 腕に、足に、そして顔に命令するとハウルは計算式に忠実に動いて彼女を喜ばせた。
ようやくハウルの心がこちらに向いたと思って、少女は喜び、そしてハウルが悦んで いると思っている少女はさらに行為を深めていった。
けれど、やはりハウルの心は・・・
(雨、やまないなぁ・・・)
やはりハウルの心はここではないどこかをふよふよと漂っていた。


ふと目が覚めたハウルは、一瞬自分がどこにいるのかを把握することが出来ず、しばらく ぼんやりとした頭で周りを見渡した後、ふと隣で眠っている女性の姿を見て、ああまたかと 今自分がいる状況を思い出した。
時計を見れば、まだ朝にもなっていない時間で、外からはまだ激しい雨の音が聞こえてきていた。 ハウルは隣ですやすやと眠っている女性を起こさないようにゆっくりとベッドから降りると、 うんと伸びをした後、のそのそとした足取りでシャワールームへと歩いていった。
着ていた下着をその辺に脱ぎ捨てるとそのままシャワールームへ入っていき、少しぬるめの 温度で一気に頭から水を被った。
シャワーの温度をまた少し下げて、水に近いお湯を被ればぼんやりとしていた頭が少し冴えて きて意識がはっきりとしてきた。
きゅっと栓を締めて、しばらく濡れた髪の毛から滴り落ちる雫を見つめて、ハウルは今日の 出来事をいちから思い出そうとしていた。
(どこで知り合ったんだっけ・・・?)
初めて見る店だと思ってふらっと立ち寄って一人で飲んでいたら、声をかけられてそのまま どこかに行って、えっとそれから・・・
思い出せない。
というか覚えておく必要なんて無かった。知り合った経緯や、名前やそれ以外の情報なんて なんの意味もなさない。必要なものはお互いの欲しているものが一致しているかどうか。 それだけでよかった。
ハウルはシャワールームから出てくると、窓際の椅子に座ると前と同じように降り続ける 雨をぼんやりと見つめていた。
毎日が楽しい生活だった。飲みたいときに酒を飲み、抱きたいときに女を抱く。こちらが少し えさをまけばどんな美女だって簡単に自分の元へと寄ってくる。行きたいところに行くし、 出たくないときには一切でない。自由で、なんの束縛も無い毎日がハウルにとってはとても 心地がよかった。
でも、時々・・思う。
これだけの快楽を手に入れてもなお、埋まることの無いこの身体は一体何を欲しているのだろうかと。
楽しい時間を過ごしているはずなのに、好きなことをしているだけなのに。
付きまとっては自分を離そうとはしてくれないこの胸の空洞。
降り止むことの無い雨は、まるでハウル自身の心を映し出しているようだった。
「う、ん・・・」
ぎしりと後ろのベッドが軋む音がしたと思い振り返れば、気持ちよさそうに眠る名前も知らない 女性が寝返りをかえり、時々寝言のように呟く言葉の中には、ハウルではない違う男の名前が 出てきていた。夢の中でも出会える誰かをこの女性は見つけているのに、こんなに簡単に 裏切ることが出来てしまうものなんだね。
そんな詩人のような事を考えてしまう自分が何だかおかしくて、ハウルは自嘲気味に小さく 笑った。

外の雨はまだ止みそうに無い。
ハウルはテーブルの上にあった小さな紙に簡単に別れの言葉を書き、その隣にこの部屋の代金を おくと、傘を持つことをせず部屋を後にした。

人々がまだ深い眠りについている時間帯に、ハウルは傘もささずに雨に降られながらふらふらと 街を歩いていた。まるで何かを求めてさまよっているかのように、どこかに行く目的があるわけ でもなく、ただ思いつくままに足を運んでいく。

激しく振り続ける雨は、まるで責め立てるようにハウルに降りかかっていた。どれくらい歩いた のか正直自分でもよくわからない。このまま歩いていって、どこかにたどり着くのか、たどり ついたところで誰も自分を待っているわけではないだろうに。
ハウルは何だか頭が重たくなってくるのを感じて、ふらふらとした足取りで路地裏まで歩いて いくと、そのままずるずるとその場にしゃがみこんだ。
あぁ、頭が痛い。
その時、しゃがみこんで俯いていたハウルの近くでふと何か物音がした。激しい雨の音に紛れて 何か小さな音がこちらに近づいてきているのがハウルにはわかったが、何だかだるい身体と重い 頭が言うことを聞こうとはせずどうにも音のほうへ振り向くことが出来ない。
小さく聞こえてくる音の正体はどうやら足音のようで、水を弾くような音がだんだんこちらに 近づいてくる。こんな時間に歩くやつなんて、変態か金目当てのチンピラしかいない。出来れば 前者は勘弁してもらいたいななんて事を考えていると、その足音はやはり自分の近くで止まった。 ハウルはだるい身体に残った僅かな力を振り絞って薄っすらと目を開けると止まった足音の方へと 視線を向けた。靴だけを見ると何だか女性がはくような靴を履いていて、ぐぐぐっと足首の方から 視線を上へ上へと向けていくと、真っ赤な何かが目に入る。
激しい雨に邪魔されてあまりよくない視界の中、見えたのは目立つ赤髪。ふと雨が止んだと思った ら、その女性がさしていた傘を差し出してくれており、そして自分に向か って何かを呟いている。どうやら変態でも金取りでもなさそうだとハウルは思うと、身体から 力が抜けるのがわかった。
ふっと力が抜けたと思ったら、今度は意識がだんだんと薄れてきて、あまりよくなかった視界が 今度は徐々に黒色へと変化していき辺りが暗くなっていく。何だか耳の辺りで甲高い声が響いて いる気がするが、何だか何もする気が起きない。
身体から力が抜けてだんだんと視界が暗くなっていって最終的に雨の音も、誰かが叫ぶ声も 聞こえなくなってくる中、最後に感じたのは誰かの暖かい腕の感触だけだった。