僕は君を失って
一体何が得られるんだろう。
僕は怖かったんだ。
君に嫌われることが、否定されることが。
僕は君が愛しくて愛しくて。
例えば、君が花畑で新しい花が咲いたと笑ったとき。
例えば、僕が落ち込んでいるときにそっと手を握ってくれたとき。
そんな毎日が、幸せで・・・とても不安だった。
いつか君がどこかに言ってしまうんじゃないか、って。
幸せを一度味わってしまうと、そこから抜け出せなくなってしまうんだ。
来るか来ないかわかりもしない未来に怯えて、僕は君を試した。
行かないでって言ってくれたら抱きしめてそこで終わるつもりだった。
なのに君は僕のすることに何の興味も示さず、毎日を暮らした。
わざとポケットに手紙まで入れておいたのに、涙一つ流さなかった。
だから、僕のコトなんてどうでもよくなったんだろうなって思った。
でも違った。
どうやら僕は君の性格を忘れていたみたいだ。
君は目から涙を流すんじゃない。
心の中で泣くんだ。
ごめんね、ソフィー。
5:僕の犯した罪たち
ハウルは走り続けた。
人の合間を抜け、他人と方をぶつけながらも一心不乱に走り続けた。
彼女に会いたい。
会って謝りたい。
決して許されるコトではないけれど、謝りたいんだ。
※※※※
「名前はどうしようかしら」
それが最近のソフィーの口癖だった。
うんと愛情を込めて名づけてやりたい。
あなたがたとえ片親の下で育つ運命だったとしても、愛されて生まれてきたと。
前まではずっとハウルの上着だったり、マイケルのズボンだったりしたが 今では赤ちゃんの靴下や帽子なんかを編んだりしている。
男の子か女の子かわかったものではないけれど
なんとなく男の子のような気がして、ずっと男物のものを編み続けた。
たまに編み具を置いてはゆっくりとお腹を撫でてやった。
そのとき、小さな音を立ててドアがノックされた。
ソフィーは少しドキッとしたけれど、カルシファーの様子を見ると ハウルじゃないらしい。
ソフィーはゆっくりと座っていたソファから腰を上げると、ドアへと歩いていった。
そしてゆっくりと扉を開けて、そこに居た人物を確認してみた。
そこにいたのは見たこともない綺麗な女性。
女性はソフィーを見るとにっこりと笑った。
「こんにちわ」
ソフィーは誰だかわからないけれど、とりあえず自分も挨拶してみた。
この人は一体誰なんだろう。
※※※※
ハウルはしばらく走ったところで何かに気付き、 足を止めた。
うっと息を止めて、前から歩いてくる人をじっと見続けた。
自分の額から出ている汗は走って掻いた汗なのか、彼女を見ての汗なのか。
前から歩いてくる女性は自分に気がつくと満面の笑みをうかべて
自分の方へと早歩きで近づいてきた。
「ハウル!」
そうだ。
彼女のこともけじめをつけなくちゃいけない。
自分で犯した罪のくせに、とても重く感じた。
彼女もきっと傷つけることになるだろう。きっと・・・・・・・・・。
「こんなところでどうしたの?今、暇なの?」
自分と似た金色の髪を腰まで伸ばし、少しウェーブがかかっている。
とても豪勢な服を身に付け、どんな男も魅了しそうなその美貌に惹かれたんだっけ。
今はやたら身体を自分に押し付けて、話しかけてくる。
前まで大好きだったこの行動が、今はとてもやっかいに思えて仕方なかった。
なんて自分勝手な考えなんだろう。
「今はダメなんだ。ゴメンねエリザ。また今度」
僕が悲しそうな顔でそういうと、寂しそうに身体を離した。
「そう、なの」
エリザが身体を離したところを見計らって、僕は急いで城へと走った。
そして軽く手を上げてエリザに別れを告げた。
僕はもう一度だけ君に会うだろう。
その時に、さよならするよ。
君は僕のコトを許せないかもしれないけれど、いくらなじられても殴られても 僕は元には戻りたくない。
本当に大切なものが何か、わかったから。
エリザはハウルが遠くに走っていた後ろ姿を見つめながら小さく笑った。
それはそれはとても意地悪そうに。
ハウルは自分の家についてから、あぁ魔法を使えば早かったのに。
ということに気がついた。
扉の目で荒くなった息をゆっくりと整えた。
ドキドキと音を立てている心臓は、走ってきた動機とソフィーに会う緊張で 激しい音を立て続けていた。
彼女に会ったら最初に何を言おうか。
会った時点でごめんねはおかしいかもしれない。
まず、殴られることは覚悟しておこう。
ハウルはゆっくりと扉を開けた。
中に入ると絶対にリビングにいると思っていたソフィーの姿はなく、マイケルもいない。
いるのは暖炉でパチパチと燃えているカルシファーだけだった。
カルシファーはカルシファーで何も言わず、じっと自分を見つめている。
いや、見つめているというよりは睨んでいるといった方が正しいかもしれない。
ハウルはそんなカルシファーの視線を無視して、部屋の中ほどまで歩いていった。
そして、ふと床を見てみると何か水みたいなものを落としたようなシミができていた。
かなり大量の水を落としたのか、結構シミは大きい。
それを不思議に思ったが、今はソフィーが何処に言ったのかが気になってたハウルは そのシミをあまり気にすることなくカルシファーに語りかけた。
「カルシファー・・・ソフィーは」
どこにいったの?と聞こうとしたら階段から誰かが降りてくる音がしてきた。
ハウルは一瞬ぐっと息を止めた。
(・・・・・・ソフィー?)
バクバクと鳴る心臓に手をあてながら降りてくる人物に目をやった。
しかし、降りてきたのはソフィーでもマイケルでもない。
白髪の老人だった。
白い白衣を身にまとい、大きな鞄を持っているところをみると医者らしい。
その後ろからマイケルがゆっくりと降りてきた。
医者は階段を最後までおりると、くるっと振り返り階段を真ん中ぐらいまで下りてきているマイケルの方を見た。
「それじゃあ、ちゃんと安静にしていてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
マイケルも安心したような笑みを見せると、ぺこりと頭を下げた。
医者はドアの方へと歩いてきて、部屋の真ん中で立っているハウルを見ると「こんにちわ」といって 軽く会釈した。
そして、ドアを開けて再びマイケルの顔を見るとまた会釈をして城から出て行った。
ハウルはその医者の行動をずっと見続けたあと、階段の途中で止まって自分を見ているマイケルの 側へと歩いていった。
「マイケル。ソフィーは?ソフィーは何処に行ったんだい?」
マイケルはとても悔しそうに、悲しそうな顔をして自分を見つめている。
マイケルも自分のしてきた罪を知っているんだろう。
「ソフィーさんなら、自分の部屋で眠っていますよ・・・」
マイケルはぐっと拳を握り締めて、震える声でそういった。
ありがとうマイケル。といって階段を上り、マイケルの隣を通り過ぎようと思ったところで、小さな手が 僕のゆく手を阻んだ。
その僕にとっての小さな手はマイケルのものであり、この先ヘは行かせまいと身体を僕の前にやった。
子供の通せんぼのようだ。
瞳にはうっすらと涙さえも浮かんでいる。
「マイケル・・・?」
もちろんそんなマイケルの小さな身体など少し押しのければ簡単にこの階段を登ることができた。
けれども、マイケルが自分の前に立ちはだかったコトに驚いて、身体を動かすことができなかった。
「ハウルさんを、この先に行かせることはできません」
涙に嗄れる声で呟いた。
マイケルがごくっと唾液を飲み込み、ぐっと目をつぶった時に一粒の涙がマイケルの頬を伝った。
涙。
マイケルの涙を見たのは初めてではないが、とても胸が締め付けられた。
一体何があったんだろう。
「ハウルさん。・・・そこに水が落ちたような跡があるのを見ましたか?」
急にソフィーとは関係のない話をされて、ハウルはあっけにとられた。
しかし、自分もあのシミには自分も少し気になっていたのでマイケルの言葉に耳を傾けた。
「先ほど、エリザさんと名乗る女性がこの城にやってきました。 ハウルさんと別れろって。そのほかにもたくさんのことを言ってました。 ソフィーさんはお腹が激しく痛んだらしく、うずくまったところを彼女に水を掛けられて エリザと言う人は出ていったそうです。 僕がソフィーさんを見つけたときにはとても危険な状態でした。 命に別状はないようですが、今は絶対安静です」
マイケルの目からはとめどなく涙が流れ続けた。
それは悲しみの涙なんかではなく悔しさの、痛みの涙。
ハウルは何もできなかった。
ずっと立って、マイケルの言葉を聞き入った。
手が震えているのは気のせいではないはず。
「僕はハウルさんが今はこんなコトをしていても、最後には必ずソフィーさんの所へ戻ってきて くれるんだろうって信じてました。
だから、ハウルさんが何もしてもソフィーさんが傷付いていても何も言わなかった。
でも・・・でも・・・。
ソフィーさんが危険な状態になるとすれば、もう黙ってはいられません。
ソフィーさんは僕の大切なマーサの大切なお姉さんです。
これがハウルさんの望んだ結末だったんですか?」
マイケルはそれだけ言い捨てるとくるっと向きを変えて階段を上っていった。
涙を拭いながら。
ハウルはずっと立っていた。
何もいえない。
何だろう。胸の奥がすごく熱いんだ。
手が震えて、びしびしするんだ。
ハウルは階段をゆっくりと下りていき、テーブルにおいてあるグラスに手を伸ばした。
そっと持ち上げたグラスを呆然と見たあと、ぐっと力を入れた。
グラスはハウルの力によっていとも簡単にその姿を崩し、大きな音を立てて割れた。
割れたグラスのカケラがハウルの手からパラパラと落ちると同時に
ハウルの手からポタ、ポタと血が滴り落ちた。
ハウルは手を広げて、手の中にあったガラスの破片を全部落とした。
手には無数の傷ができている。
ソフィーの痛みはこんなものじゃなかったはずだ。
こんなちっぽけなものじゃなかったはずだ。
手から落ち続けている血のほかに、小さな水も落ち始めた。
涙に濡れる彼の顔は、泣いていてもとても美しく。
ずっとハウルを見ていたカルシファー。
こいつには何か言ってやらなくちゃいけないと思っていたけれど、 今はやめておいたほうがいいかもしれない。
きっと今何いっていても聞こえていないだろうから。
ハウルの顔は俯いていて、どんな表情なのかはわからないけれど。
機械っていうのは、ねじが一本外れると動かなくなる。
そして、連動して他の部分も動かなくなっていくんだ。
僕たちの関係はそれに似ている。
一度の失敗は10の失敗を呼んだ。
僕は君をどこまで傷つければいいんだろうか。
僕の罪の大きさはどうやらそうとう大きいらしい。